2007年11月26日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

アトリエが育てる人と平和


 芸術家たちのアトリエ村や共同アトリエなど文化の拠点がある地域からのリポートを、京都と東京からお届けします。


産廃の地 芸術芽吹く

京都市・西山高原

 京都西山高原アトリエ村は、京都市を西に突き当たった亀岡市との境の山頂にあります。毎年五月の三日、四日に「京都西山高原アトリエ村展」という展覧会を開催しています。「アトリエ村展」は、三十軒近くある各作家のアトリエを開放して作品を展示する展覧会です。作品と作家とアトリエが一挙に見学できる珍しい展覧会です。今年は第二十回という節目でもあり例年以上に参加者が多く、二日間で二千百人と盛況でした。

女性作家 声を上げ

 この地は、もともとは大変な不毛の地でした。産業廃棄物が違法に処理され、それらを運ぶトラックが往来し、山のあちこちから野焼きの煙が立ち上がっていました。世間では「ばば捨て山」と呼ばれていたのです。

 これらのイメージを払しょくするために一人の女性作家が声を上げ、一九八八年に最初の京都西山高原アトリエ村展が開催されたのです。最初は数軒の大きなスペースを持つアトリエに作品が集められ、そこが展覧会場になっていましたが、参加者が増えるとともにそれらの場所が手狭になったので、各自が自分のアトリエで作品を展示するオープンアトリエ形式にかわりました。

 十周年を終えるころにはアトリエ村の発展と並行して町内の結束もかたくなって産業廃棄物問題などが前進しました。このころになると西山高原に仕事場を持つ大工さんや木工屋さんがものづくりをはじめ参加してきました。当初はにわかに作品を作り出した人たちを展覧会に迎え入れてよいものかどうか議論になりましたが、彼らは結構お客さんに人気がありました。

 作家の個性が多様なら鑑賞者の個性も多様です。初期のアトリエ村展は作品の「質」にこだわっていましたが、時間の経過とともに「多様さ」を取り入れるだけのゆとりが出てきたのです。

地域に根 世界へも

 このゆとりのおかげで作家と鑑賞者とのやりとりがただ単なる「質」だけのものではなくて、両者の個性のマッチングと交流の中でお互い高めあうものであるということがわかりました。鑑賞者は質のいい作品だけが気に入るとは限りません。つたない作品であっても自分が気に入れば励ましてくれるのです。作家はその激励に応え、より良きものを作ろうと努力します。

 交流の中で鑑賞者もおのずと目が肥えていくものです。アトリエ村展にリピーターが多いのは、一時ではなくて長期にわたって作家を励まし続けてくれている鑑賞者が多いということです。

 アトリエ村の作家たちはそれぞれに腕を上げ、おのおのの展覧会で優秀な賞を獲得したり、海外に招かれたりしています。地域に根を生やした展覧会が今後さらなる精進を重ね、世界にむけて発信するものにしたいと考えています。(京都西山高原アトリエ村第20回展実行委員長 貴志カスケ=彫刻家)

願い込めた 巨大9条

東京・葛飾

 三階建ての共同アトリエの屋根の上に、設置された「We Love 憲法9条」の看板が目をひきます。ここは東京都葛飾区、北総鉄道線「新柴又」駅近くにある共同アトリエ「かつび」(葛美会)です。

 日本美術会を中心に美術家9条の会が発足するなどの動きに、「かつびでも何かやれないか、という話になった」と、いなお・けんじさん(54)=画家=。鍋を囲んで、五、六回会議をかさね、一年がかりで議論を煮つめていったといいます。

9が輝く自前看板

 その結果、実現したのが、憲法九条を守ろうの一点でみんなの思いを結集して開いた「守ろう憲法9条の応援歌展」(二〇〇六年五月)。広くよびかけて、絵画、彫刻など出品者は百人を数えました。

 その後、アトリエ三階の屋根の上に看板を設置することにしました。メンバー全員が二日がかりで製作。若いころにやっていたアルバイトの経験をフルに生かし材料の仕入れ、大工仕事から溶接、防水工事まですべて自前で行いました。メーンタイトルの下に差し替え可能な文章スペースをつくり、「すべての争いごとは武力でなく話し合いで!」といったものを三カ月ごとに替えています。タテ一・五メートル、ヨコ七メートルの大看板で、風が通りぬけるように工夫したり、「9」の字の周りが電飾で光るようにしたりしました。

 看板が完成したのが〇六年十一月末。そのおひろめを兼ねた望年会には百人を超す人たちがきました。久方ぶりで「昔ひんぱんにやった望年会を思い出した」と話します。

 「帰るときに看板のスイッチを入れて朝きたら切るんです」と旭義信さん(57)。「電車内から、この看板を見ている人も多いと思います」。

9部屋に作家9人

 もともとは金沢美大を卒業し東京へ出てきた人たち四人が中心になり、「アトリエがほしい。倉庫でも借りて共同アトリエができないだろうか」と相談したのが始まりでした。一九七〇年、安い土地を借りて、一輪車で土砂を運び入れて整地し、プレハブで住居兼アトリエをつくったのです。当初は各自のコーナーを決めて共同使用し、食事も当番制でした。

 借地が明け渡しになり、七七年には別の場所に個室形式の新アトリエが完成し、住まいは別にしました。この間、「葛美会展」も十五回開催。裸婦デッサンを一緒にやったり、『素描』という文集をだしたり、精力的な活動が進みます。

 現在地に今のアトリエができたのは九三年春で、もうすぐ十五周年です。九つの部屋を美術家九人で使っています。

 当初からのメンバーの一人、布目勲さん(60)=画家=はいいます。「このアトリエを仲間と一緒に確保し続けてきたことが自分の仕事にとっては大きい」。(孝岡 楚田)


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