2007年8月7日(火)「しんぶん赤旗」
故宮本顕治元議長の葬儀での
志位葬儀委員長あいさつ
六日の故宮本顕治元議長の葬儀で、志位和夫委員長が葬儀委員長としておこなったあいさつは、次のとおりです。
本日は、公私ともにお忙しいところ、また猛暑のなか、各界の方々に多数ご参列いただき、まことにありがとうございます。
元日本共産党中央委員会議長、故宮本顕治さんの葬儀にあたり、葬儀委員会を代表して、一言ごあいさつを申し上げます。
宮本顕治さんは、五年前から脳梗塞(こうそく)などのため代々木病院に入院加療中でしたが、七月十八日、老衰のため、九十八年を超える波乱に満ちた生涯を終えられました。ここにあらためて、ご遺族、ご親せきのみなさま方に、つつしんで心からおくやみを申し上げます。
私が、宮本さんの講演などに接するようになったのは、一九七〇年代の大学生のころですが、百戦錬磨の政治家・革命家としての洞察力にみちた政治論とともに、現代の若者がいかに生きるべきかをのべた人生論に、強く心を揺さぶられました。
宮本さんは、戦前ともにたたかい、暗黒政治の弾圧に倒れた小林多喜二の生涯などにふれて、最も人間的な生き方とは何かと問いかけ、「生きることを大切にするとは、生きることに対して不当に妨害するものに対して、頭を下げない、自己の信念を裏切らない、これがもっとも気高い人間性の発揮」だと語りかけました。深い理性に裏付けられた宮本さんの不屈さ、剛毅(ごうき)さに、深く感動したことを思い起こします。
一九九〇年代に、私は、党指導部の一員として宮本さんとともに活動することになりましたが、宮本さんから多くのものを学びました。宮本さんは、私たち後輩にたいして、きびしい中にも独特の優しさをもって対してくれました。はにかみをふくむような優しい笑顔が、いまでも目に鮮やかに思い起こされます。
宮本さんの経歴および業績は、のちほど紹介されますが、戦前の暗黒政治のもとにあって反戦平和と国民主権を不屈につらぬいたこと、大国の干渉と勇敢にたたかい自主独立の路線を築き上げたこと、まず資本主義の枠内での民主主義的変革を探求するという綱領路線の確立、国民と草の根でむすびついた強く大きな党づくりなど、日本共産党発展の基礎をつくり、日本と世界の平和と社会進歩に貢献した偉大な先達の生涯に、私は心からの感謝と敬意をささげるものです。宮本さんから学んだ多くのものを心に刻み、二十一世紀の日本の政治変革の事業の発展に生かすために、全力をつくす決意であります。
生前、故人に寄せられた党内外のみなさま方のご厚情、入院していた代々木病院の先生方、長期の看護につくしてくださったみなさま方に、心からお礼を申し上げます。
本日ここに、日本共産党とともに生き、日本共産党の前進のために生涯をささげた宮本顕治さんを追悼するにふさわしい葬儀を、厳粛にとりおこないたいと存じます。みなさまのご協力をお願い申し上げ、ごあいさつといたします。