2007年7月19日(木)「しんぶん赤旗」
宮本顕治さん死去にあたって
日本共産党の志位和夫委員長は十八日、中越沖地震の現地調査に訪れた新潟県柏崎市で、宮本顕治元議長の死去について記者団に問われ、次のようにのべました。
志位委員長がコメント
老衰でなくなったという報を、さきほど受けました。たいへん大きな人で、大きな仕事をされた政治家だったと思います。私にとっても深い尊敬の対象でした。大きな感謝とともに、心からの哀悼の気持ちをのべたいと思います。
とくに宮本さんは、戦前獄中にあって、十二年間、反戦平和の旗を降ろさないでがんばりぬいた、これが戦後の平和につながったと思います。
それから、相手がソ連、中国・毛沢東派であっても大国の干渉に屈しない自主独立の立場を打ち立てた、この業績も大きいと思っております。
それから、いまの綱領の原型にあたる綱領路線を確定し、まず資本主義の枠内で、アメリカいいなり、大企業中心の政治から国民中心の政治に切り替えるという、いまの綱領路線の土台をつくる上でも大事な仕事をされた方だと思います。あとを引き継いでしっかりがんばっていかなければいけないと決意しています。
(「日本の政治にとっても大きな出来事だったと」との問いに)
私はそう思っています。日本の戦前、戦後の政治のうえで宮本さんは、本当に一貫して平和と国民の利益のために生涯をささげた政治家であり、革命家だったと思っております。私も多くのものを学びました。ぜひ、こんどの選挙で立派な成績を出してそれにこたえたいと思っております。
不破哲三前議長が談話
私が日本共産党の本部で仕事をはじめたのが一九六四年、宮本さんが引退したのが一九九七年でしたから、役職上の関係はいろいろでしたが、党の中央委員会で三十数年にわたって政治活動をともにしてきたことになります。
そのなかで学んだこと、影響をうけたことは数多くありますが、まず第一にあげられるのは、どんな相手のどんな無法にも屈しない自主独立の態度とそれをつらぬく強固な意志です。ソ連崩壊をふくめどんな諸事件にもゆるがないわが党の理論と路線も、この立場があってこそ、成立し発展してきたものです。
宮本さんの若い時代、戦前の獄中と法廷での苦難の闘争のことは、私の入党のころからよく語られていた話でしたが、あの闘争が、権力側の謀略を打ち破って日本共産党の政治的名誉と道義的権威を擁護する今日的な意義をもってきたことも、最近ひとしお強く感じ、若い人たちに語ってきたことでした。
今日の日本共産党の基盤をきずいてきた偉大な先輩として、その業績を発展的に受け継ぎながら、私も、日本の進歩と世界の平和のための活動に可能なかぎり力をつくすつもりでいます。