2007年6月5日(火)「しんぶん赤旗」
「大型開発ノー」に共感
頼高さん 「税金は福祉に」
埼玉・蕨市に共産党員市長
三日投票の埼玉県蕨(わらび)市長選で日本共産党の市議会議員だった頼高(よりたか)英雄氏が、自民、公明両党の全面支援をうけた相手候補に三千三百九票引き離して当選を果たしました。一夜明けた四日早朝六時、駅頭にたった頼高さんに次々と市民が駆け寄り、喜びを分かち合いました。(市長選取材班)
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「頼高氏が初当選 共産党籍の市長誕生」。四日、地元紙の埼玉新聞がこう一面トップで報じたほか、大手各紙も県内ニュース欄で大々的に伝えました。
「よかった、よかった、ほっとしている。商店の仲間同士で『今度はどっちなんだ』って聞いたら『頼高だよ』ってみんな言ってて、商店街の雰囲気がよかったよ。ファミリー企業をもうからせるために税金使うんじゃなくて、福祉とか市民のためのこぢんまりとしたことに使ってほしい」
蕨駅前商店街の男性店主(65)は言います。
商店街を通りかかった主婦(63)も「頼高さんが言っていた駅前商店街にビルを建てないようにすることや、子どもの医療費を中三まで無料化する、高齢者福祉の問題とかは絶対にやってもらいたいものばかりだったので、当選してよかった」と話します。
市政転換に期待
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八期三十二年にわたる田中啓一市長(引退)による長期の保守市政、大型開発優先の市政転換の期待を一身にうけて頼高さんは当選をはたしました。
選挙では、JR蕨駅西口周辺の二つの大型開発計画が争点になりました。三十階建て高層マンション建設を中心とした西口再開発事業に市は合計二十億円、駅前商店街や周辺住民に移転を強いる中央第一区画整理事業には合計八十億円の税金を投入する計画です。百億円にものぼる巨大開発で、事業に使われる市有地の購入費用を合わせると、実際の負担はさらに大きくなります。
「ハコものムダづかいだ」と待ったをかける頼高さんにたいし、「蕨の経済発展の起爆剤としていきたい」と推進しようとしたのは、相手候補の庄野拓也氏でした。
国保税や下水道料金の引き上げ、家庭ゴミ有料化という連続値上げ計画を中止するのか、すすめるのかも大争点になりました。
結果は、「日本一小さい市で、日本一あたたかい市政」を合言葉に、ムダ遣いの大型開発でなく福祉優先、負担増反対の立場を鮮明にした頼高氏に市民は軍配をあげたのです。
当選直後、記者会見で頼高氏は、「蕨を変えたいと願う市民の勝利です。市民すべての代表という立場を貫いてたたかいました」と胸をはりました。めざすのは、中学三年生までの医療費無料化、蕨駅へのエレベーター設置、蕨駅西口再開発を市民の声を聞いて見直すことです。
負担増反対・中3までの医療費無料化…保守の人も支持
「反共」通用せず
前回市長選で保守候補の乱立のもとで頼高氏に四百三十三票差と肉薄された与党側は、保守系市議だった庄野氏一本にまとまり、頼高氏を抑えこもうとしました。しかし「批判とばらまき」と攻撃しながら、自分の選挙ビラには「医療費の無料化を中三まで拡大」などと言い出し、政策論戦では後追いとなりました。
相手陣営の訴えの中心になったのは反共攻撃でした。自民党衆院議員(田中良生氏)が先頭にたち、「共産党支配にまかせるのか」と叫び、また「ソ連を見てほしい。共産党は崩壊した」(公明党市議)となりふりかまわぬ攻撃でした。公明党は「私たち公明党と創価学会は総力をあげて、がんばることを誓います」と街頭で表明。政教一体の反共総動員で浮上を図ろうとしました。
蕨市の政党の力関係は、総選挙比例票で見ると、日本共産党三千四百二十四票に対し、自民、公明両党で一万九千百三十五票で五・五倍の開きがあります。この力関係で激戦を制しようというねらいでした。
それを許さない市民の審判が下りました。四日、商店街を自転車で通りかかった男性(76)も言いました。
「私は自民党も公明党も共産党もない人間でその人の政策本位で投票している。頼高さんの改革するという姿勢にひかれた。市政は改革しなきゃなんないと思っていたけど、ああいう人が出て来てこそだなあと思う。公用車を減らす、中三まで医療費を無料化するとか、社会的弱者にむけた政策を世論に発信したところにひかれたし、うれしかった」とのべ、さらに「頼高さんはよくやってくれる人で共産党とか関係ない。共産党員が市長になったから市政がひっくり返るなんてないってみんなわかっているわけだから。掲げた公約を徐々に実現していってくれると期待しています」と話しました。
市長候補の母体となった「フレッシュみんなの会」の広田実会長は「頼高さんは市民に目を向けた政策をかかげ、具体的な予算の裏付けも示して市民の願いに応えるマニフェストを発表しました。保守的な人も含め、広く期待が寄せられました」とのべます。
四日、午前十時すぎ。市役所に足を運び当選証書を受け取った頼高さん。マスコミ記者に囲まれるなか、「いよいよスタートだと身の引き締まる思いです。誰を応援したか関係なく、市民すべてが力を発揮し、すべて市民のための市政運営を貫くと肝に銘じてとりくみます」と力強く語りました。
【頼高英雄氏の経歴】
一九六三年蕨市生まれ。埼玉大学教養学部卒業。コンピューター会社でシステムエンジニアとして働く。一九九一年から日本共産党市議を三期。一九九九年、二〇〇三年の市長選に立候補し、いずれも次点。市内北町コミュニティー委員会理事、北一子ども会育成会会長、みどり保育園保護者会会長など。