2007年5月14日(月)「しんぶん赤旗」
列島だより
筆
産地はいま
書や水墨画などに欠かせない筆、すずり、墨、紙など「文房四宝」。毛筆は日本の伝統工芸品の一つですが、その生産はいま、どんな様子か―。シェア1位の広島県熊野町と、2位の愛知県豊橋市の両産地ですすむ後継者育成や振興への努力をリポートします。
一生一度の「赤ちゃん筆」も
安価輸入物より質高く
広島・熊野町
広島市から東へ十五キロで四方を山々に囲まれた細長い盆地にある熊野町(くまのちょう)は、全国でつくられる筆の八割近くを生産しています。親から子へ、子から孫へと引き継がれて百七十年、人々の生活に根をおろし、人口二万六千人の町で、住民の十人に一人にあたる約二千六百人が筆づくりに従事しています。
一九七五年に中国地方で最初の伝統的工芸品の指定を受けた筆づくりですが、若い後継者の育成が緊急課題となっています。
熊野筆は、墨を含ませる「穂首(ほくび)」と穂首を支える「軸」の二つの部分で構成されています。細かく分けると百を超える工程を、それぞれ専門の職人が分業しています。同じ種類の動物の毛でも、それぞれ違いがある性質を読み取って緻密(ちみつ)に穂首を仕立てます。一人前の職人になるには、十年以上の経験と勘(かん)が頼りの熟練した技術が必要です。
熊野町では、安価に輸入される中国の毛筆に対して、より質の高い筆をつくろうと、後継者育成に努める企業を支援し、筆づくりの勉強会などを開いてきました。職人のうち名人と認定された十七人の「伝統工芸士」は、筆づくりの技術の向上や後継ぎを育てる努力を続けています。
スクール開講
昨年八月には、筆職人後継者育成事業「熊野筆マイスタースクール」を立ち上げ、穂首づくりコース八人、軸づくりコース四人、仕上げコース七人の計十九人の研修生が卒業しました。二年目となる今年度も二十人余りを、それぞれの技術で就職することを前提に、職人候補として養成する予定です。
今年四月に鎌倉市から移住して入学した荒井牧さん(28)は「ずっと続いてきた技を身につけることは、他のものに置き換えられない自分自身の存在価値になるとあこがれました」と言います。同じように見えていた毛の一本一本が全部違うことが分かり、ますます人の手でやらなければならないと実感。「筆づくりは分業が多いけれど、できれば一貫してやらせてくれる会社に入って職人として成長し、伝統工芸士の雅号がもらえるようになりたい」と意気込んでいます。
町民から寄付
同スクール開講のため、筆づくりの道具を募集したところ、穂先づくりに使う鋏(はさみ)や櫛(くし)、軸を加工する轆轤(ろくろ)、筆銘を刻む彫刻刀など、町民からたくさんの寄付があり、研修に使われています。
一九九四年オープンの「筆の里工房」では書道用毛筆のほか、絵画用画筆や化粧筆を展示。筆づくり体験もでき、小学生の社会見学やPTA活動に活用されています。また、一生に一度の赤ちゃんの初毛を使い、伝統工芸士がつくる「赤ちゃん誕生記念筆」が人気を集めています。(広島県・突田守生)
小学校で出前講座、習字大会
“すべる書き味”引継ぐ
愛知・豊橋
豊橋(とよはし)筆の生産は、戦前の一九三五―四〇年(昭和十年―十五年)ごろがピークで六百―七百人の筆職人がいました。戦後は、連合軍の書道禁止政策によって筆の需要が衰退。その後、小学校での書道教育の復活で、豊橋の筆作りも再開されました。
伝統的工芸品
豊橋筆は、脈々と伝統を受け継ぎ、一九七六年に歴史と品質が高く評価され通商産業省(現経済産業省)より「伝統的工芸品」の指定を受けました。現在は、伝統工芸士に十五人が認定され、組合員六十五人、筆作り従事者三百二十人がいます。年間生産量約百八十万本、販売額十二億円、全国シェア約25%(全国二位)、高級筆は80%を占め、多くの書家からも「墨になじみやすいため書き味がすべるようだ」と絶賛されています。
豊橋市と豊橋筆振興協同組合は、市内の小学校で筆作り実演授業(出前講座)や、全小中学校の子どもたちを対象に「習字大会」を開催しています。今年は組合創立三十周年記念事業として「伝統的工芸品豊橋筆フェア」を七月二十五―二十九日に行い、習字の募集、表彰、展示や筆作りの体験や実演などを行う予定です。
筆の将来について、豊橋筆振興協同組合理事長で杉浦製筆所社長の杉浦良雄さんは、材料調達は、80%を中国産に頼っている、国内産は野生動物を狩る猟師が少ないこと、農耕馬などの減少で品質と量の確保が困難になっていると説明します。(1)日本企業が中国で生産し国内で安売りをしたり粗悪な中国製を日本製として販売(2)後継者育成も、一人前の職人には三―五年、独立するまでに十年はかかり、給料の保障が難しい―など多くの課題があることを述べながら、後継者の確保と育成、原材料の保全と品質の向上などに積極的に取り組んでいると語っています。
党議員も尽力
日本共産党豊橋市議団は、豊橋筆の発展のために、予算要望や議会などで市補助金の引き上げなどを要求し、三十万円から五十万円になりました。杉浦理事長は、「八田ひろ子前参院議員と和出徳一元県議(故人)にも、力になっていただきました」と話していました。(豊橋市議 伊達 勲)
東海道の宿場町から
愛知県東部に位置する豊橋市での筆作りは、1804年(文化元年)に、京都の鈴木甚左衛門が吉田藩(豊橋)学問所の御用筆匠として迎えられ製造したのが最初です。
豊橋筆が、日本国中に名声を高めたのは、豊橋が東海道五十三次の宿場町として栄え、奈良の墨職人が上京の折、江戸への販路拡大の進言や幕府へ150本の豊橋筆の「献上」があったからです。