2007年4月30日(月)「しんぶん赤旗」
ベトナム戦争 終結32周年
米、イラクで過ち再び
増派と泥沼化 負の連鎖
ベトナム侵略戦争が米国の敗北で終結してから三十日で三十二周年になります。ウソの口実で拡大、継続された同戦争は、重大な過ちとして歴史に断罪されました。しかしブッシュ米政権はその教訓を学ぼうとせず、不法なイラク戦争を強行しています。
傷ついた威信
一九七五年春、南ベトナムの解放勢力は、最後の総攻撃を開始しました。四月三十日、サイゴン(現ホーチミン)の大統領官邸に南ベトナム臨時革命政府の旗が翻り、ズオン・バン・ミンかいらい政権大統領が全面降伏を宣言。ベトナム戦争は終わりました。
六四年の「トンキン湾事件」以後に本格化した戦争で、ベトナム人三百万人と米兵六万人が死亡しました。米軍が大量に散布した猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤は約三百万人のベトナム人に被害を与え、参戦した米軍や他の国の兵士にも被害を与えました。損害賠償を求める裁判が今も米国などで続いています。
戦争で行き詰まったニクソン米大統領は、七二年十一月の大統領選での再選をめざし、野党・民主党の本部(ウォーターゲート・ビル)に盗聴器を仕掛けさせ、それが露見すると真相究明を妨害しようとしました。
このウォーターゲート事件のため、同氏は大統領として米史上初めて弾劾で罷免される状況に追い込まれ、七四年八月に辞任。侵略戦争の継続、拡大は、いっそう困難になりました。
ベトナム戦争での米国の敗北は、ウォーターゲート事件とともに、米国の分裂、対立を拡大。「自由世界のモデル国家」としての米国の国際社会での“威信”は深く傷つき、「世界最強の国」の自信は失われました。
テロを契機に
ベトナム戦争での敗北後、米国では社会全体を覆う「ベトナム症候群」のもと、えん戦気分が広がり、政府の戦争政策に一定の歯止めがかかっていました。それを変えたのが二〇〇一年の9・11対米同時テロでした。
ベトナム戦争終結から二十八年後の〇三年三月二十日に始まったイラク戦争では、今年四月末で三千三百人以上の米兵が死亡。イラク人は最大で六十五万人が死亡したとも推定されています。
五年目に突入したイラク戦争は、三年九カ月続いた第二次世界大戦(四一年十二月―四五年八月)や三年一カ月の朝鮮戦争(五〇年六月―五三年七月)を上回ります。〇一年十月から五年半も続くアフガニスタン戦争も含む「対テロ世界戦争」は、米国にとってベトナム戦争に次ぐ長期戦争となっています。
増派断念せず
イラク撤退を求める声が国内でますます強まっているにもかかわらず、ブッシュ政権は今年一月、治安回復を理由に新たに二万一千五百人の米軍戦闘部隊の増派を決定、開始しました。その後、支援部隊二千四百人と憲兵二千二百人の追加を決定しました。約十四万人だったイラク駐留米軍は約十七万人に膨張。しかしイラク情勢が安定化する展望は見えません。
戦争の泥沼化に米軍増派で対応し、それがさらに泥沼化を招く。この悪循環はベトナム戦争でも繰り返されました。
ケネディ政権末期の一九六三年には、「米軍顧問団」の名で一万五千人の米軍が南ベトナムに駐留していました。ジョンソン政権になると米軍は全面的に戦闘に参加するようになり、六五年末に十八万人、六七年二月に二十万人、六七年末には四十八万人と増派され、六八年十月には最高の五十四万人となりました。
同年の米軍総数は、徴兵制のもとで三百五十五万人でした。ベトナムには最高時で、その15%が派遣されました。
志願兵制の今、米軍総数百五十五万人のうち、ベトナム戦争時にほぼ匹敵する比率の米兵が「対テロ世界戦争」で国外に派遣されています。兵員不足を補うため、ベトナム戦争では動員されなかった各州の州兵も戦場に派遣され、多くの犠牲者を出しています。
ベトナム戦争末期にベトナム外務省対米政策局長だったチャン・クアン・コー元外務次官は語ります。
「ベトナム戦争とイラク戦争は違いますが、どちらも米国は間違っています。違うところは、ベトナム戦争で泥沼に陥ったニクソン大統領は軍の増派を承認しませんでしたが、イラクで泥沼にはまったブッシュ大統領は軍を増派しようとしていることです」(ハノイ=井上歩、鈴木勝比古)