2007年3月31日(土)「しんぶん赤旗」

働けど…  ―若者たちは(6)

月百時間の残業

過労で燃え尽き、うつ病に


 「ようやく人と会うことができる状態まで回復してきました」と話すのは、埼玉県草加市に住む山田良男さん(28)=仮名=。半年前に、五年間勤めた広島県の造船所をうつ病のため退職して治療に専念しています。

 山田さんは静岡県の大学で船舶工学を学び、念願の造船所に就職しました。

 就職して間もなく「造船バブル」に突入。新造船建造量国内トップを誇る企業の関連会社だった造船所はドックを二つ増やしました。中国向けの仕事がものすごい勢いで入り、増産に次ぐ増産体制になりました。

 月百時間を超える残業は当たり前。「六十時間を超える残業はサービス残業にさせられて、残業代をカットされます。残業は私も含めみんなが百時間を超えていた」

 資材部に配属された山田さん。ドックが二つになったことから一度に二隻の船を造るために、資材発注は倍、工程管理も倍と仕事量が「超過密」になりました。人は増やされませんでした。

×……×

 工程がちょっとでもつまずくと納期を遅らせることになりかねません。試験航海に出せない事態になりかけたこともありました。設計図の完成の遅れや、資材発注も「コスト削減」を上部から厳命され、上司からは「結果を出せ」とプレッシャーをかけられました。しかも、労組もなく、労働条件の改善を訴える場もありませんでした。

 「寮に帰るのが十二時を過ぎることもたびたびでした。職場と寮を行ったり来たりするだけの生活でした」

 追い打ちをかけたのが、慕っていた祖父の死。深い悲しみとショック。気がつくと、車で百二十キロのスピードを出して横転する交通事故を起こしました。こうした出来事がきっかけとなり、うつ病を発病してしまいました。

 就職して二年たっていました。出勤できなくなりました。食欲がなくなり、けん怠感が襲い風呂にも入れません。「燃え尽き症候群だった」と山田さんはいいます。休職と復職を三年間繰り返す日々。退職して実家のある草加市に戻りました。

×……×

 山田さんの回復への糸口をつくったのは、仲間との出会いと活動でした。「自分を支える柱を増やしてみたらどうか」と日本共産党への入党を父親からすすめられて党員として歩み始めました。「同じ悩みを持った仲間がいる。『一人じゃないんだ』という安ど感は、励みになりました」

 実家に戻って半年。ようやく風呂に入れる気力を取り戻しました。人と会うこともできるようになりました。

 「普通だから病気になる。『悩んでいるのは一人じゃない』とアピールしたいです。今の僕には仲間がいる。将来は、精神保健福祉士の資格をとって長時間過密労働で傷ついた人の力になりたい」と、これからのことを考えています。(つづく)


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