2007年3月25日(日)「しんぶん赤旗」
キヤノン工場残酷物語
登録派遣青年の実態 大分
天引きで手取り10万/歩速も管理
バスは“護送車”/給料日前は空腹
非正規雇用の青年たちをバスに詰め込み工場まで運ぶ―。彼らはこのバスを“護送車”と呼びます。キヤノン会長・御手洗冨士夫氏(経団連会長)の出身地である大分のキヤノン工場で働く二人の青年が語る“現代残酷物語”―。(大分県・大星史路)
やせ細った身体に無精ひげ。長崎県出身の新井亮さん(25)=仮名=は、ワールドインテック(本社・福岡)の登録派遣社員として、国東(くにさき)市にある大分キヤノン安岐(あき)工場でカメラの組み立てをしています。請負・派遣会社の登録派遣社員となって二年。今は「その日その日の生活で精いっぱいです」と静かに語りだしました。
貯金できず
「月二十万円可 寮完備」。キヤノンの派遣労働のうたい文句です。請負・派遣会社の事前説明では、月十八万円でした。
寮は、会社が借り上げた民間アパートでした。六畳一間の狭い部屋です。しかも、寮費が月額二万六千円も天引きされます。テレビ、冷蔵庫、布団などの備品リース代も天引きされ、実際の手取りは十万円そこそこ。「貯金なんてとてもできません」
勤務は二交代制です。朝五時前に寒さに震えながら、集合場所のコンビニに向かいます。
同じような若者たちがどこからともなく集まり、派遣会社のマイクロバスに乗り込みます。彼らは、このバスを“護送車”と呼びます。
会話もなく工場に。その仕事は秒単位で追われ、まるで「刑務所の労働」のようだといいます。
すき間なく並べられた幅六十センチメートルの一人用の作業台。肩を寄せ合うように労働者が作業台の前に立ち、隣から手渡されたカメラを手にとり、黙々と細かな作業を続けます。
二時間働いて十分の休憩。休憩時間も、始業五分前にチャイムがなり、持ち場につくといいます。「タバコ一本も吸えない」。
「毎秒1・79メートル」。歩く速さまで管理されています。通路の側面にはセンサーが設置され、労働者が歩くとスピードが表示されます。
工場と部屋を行き来するだけの生活。寮のある杵築(きつき)市に移ってきて三カ月、町を出歩いたことはありません。
休日は、カネも、出歩く“足”もなく、部屋で過ごすといいます。
考えることは?
新井さんは、ちょっと考えて、「今日は食事を何回抜くかということかな」と、ぽつり。
給料日前は、食べる金も底をつき、いつもおなかをすかしているといいます。
「ほんと、モノ扱いだ。俺たちをなめている。日々そう思う。こんな働き方はもういい。おれたちを本当になめんなよ!」
二十五歳の若者の叫びです。
心配する父
「正社員になりたい。けど、やっぱり難しい」。秋野幸一さん(30)=仮名=の希望と現実です。大分市のキヤノン工場で登録派遣社員として働きます。二十五歳の時、大手請負・派遣会社の日研総業に登録。大分県外でしばらく働き、昨年、地元に帰ってきました。いま大分市内の日研総業の寮で生活しています。
派遣会社は寮の合鍵を持っていて、仕事に出てこない若者の部屋を勝手に開けて、仕事に連れ出しにくることもあるといいます。プライバシーもなく、現代の“たこ部屋”です。
手取りは月十二万円程度。それでも、病弱な父親のため毎月五万円を実家に仕送りしています。
「このままの不安定な仕事では、結婚もできない」と心配する父親。その顔を思い浮かべると切なくなるといいます。
マイクロバスで工場を行ったり来たりの生活。「寮や工場に鉄格子があるわけじゃないけど、見えないオリに入れられてるよう」だとつぶやきます。
「正直、毎日の生活に追われ、自分のやりたいことが何かを考える余裕がない」とも。趣味のドラムをたたく余裕もありません。
工場では今年、他の工程で働く労働者が「派遣」から「請負」に切り替わったといいます。
変わったのは名前だけ。働く人も仕事内容も何も変わっていないと彼らは口々に訴えます。
キヤノンは、派遣労働と請負の切り替えを繰り返し、派遣労働なら一定期間たてば会社が直接雇用をしなければならない責任を今も逃れ続けているのです。
【メモ】
大分キヤノン工場と補助金 キヤノンは一九八二年に国東市で、二〇〇五年に大分市で相次いで操業を開始し、デジタルカメラの主要製品を生産しています。
工場で働く六千八百五十人の労働者のうちの85%、五千八百人が請負や派遣など不安定な非正規雇用の労働者です。多くは大分県外の若者です。
地元自治体はキヤノンの誘致にぼく大な税金をつぎ込んでいます。大分県の補助金は、工場用地造成費用など約四十八億円にもなります。
日本共産党は、企業誘致で拡大した非正規雇用と若者の貧困・格差の問題を国会や県議会で追及。県として深刻な実態を調査し、人間らしい安定した雇用を企業に求め、協定を結ぶよう要求しています。