2007年3月6日(火)「しんぶん赤旗」

主張

「日の丸・君が代」

強制は教育の営みを台無しに


 卒業式等での「日の丸・君が代」強制はやめるべきだ―。「日の丸・君が代」への賛否をこえて誰もが一致できる民主主義の主張は、この一年間、着実な前進を記録しました。昨年九月の東京地裁判決は、東京での異常な強制を違憲と断罪しました。政府も昨年の教育基本法国会において、強制は正しくないとしました。

出発点は歴史の真実

 なぜ、強制は正しくないのか。その出発点は「日の丸・君が代」が「戦争中のあの一時期、誤った戦争への手段の一つに使われた」(当時の野中官房長官、一九九九年八月六日)という誰もがみとめる歴史の真実です。「このため、入学式・卒業式等の式典において、国旗掲揚、国歌斉唱をすることに反対する者も少なからず」います。そうした人々の「思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなどの公共の福祉に反しない限り、憲法上、保護に値する権利」です(東京地裁判決)。

 この一連の考え方は政府も教育基本法国会で認めました。日本共産党の井上哲士参議院議員の質問にたいして、塩崎官房長官は「それ(国旗掲揚、国歌斉唱への反対)は、思想信条の自由であります」(二〇〇六年十一月二十七日)と答弁しています。

 思想・良心の自由は、なにより子どもたちに保障されなければなりません。私たちはさきの国会で、母親が在日韓国人三世の小学六年生が、歌いたくないのに、教育委員会の方針にそって、指が三本入るまで口を大きくあけろと指導された例をとりあげました。こんな非人間的なことは絶対にあってはなりません。

 ある都立高校の生徒は「もし歌うことを強制されるなら(もちろん間接的に先生を使う場合も含みます)、それは私の人権を無視したことになるし、たとえ歌わされても、私の日本への愛は薄れるだけです」と述べています。

 子どもらに、政府答弁も認める、国旗国歌の歴史や意味、思想・良心の自由を伝えることはおとなの誠実さの最低限の証しです。

 教職員への強制は、起立せよといった職務命令によっておきます。しかし、上司に従う義務より、憲法が保障する人権が重いのは当然です。

 東京地裁は、卒業式を妨害するなど他者の権利を侵害していない以上、思想・良心の自由が優先されるとし、さらに不起立でまわりの人が不快を感じても、思想・良心の自由は奪えないとしました。

 一方、二月二十七日の最高裁判決は、ピアノ伴奏拒否による処分は不当とする教員側の訴えを退けました。しかしこの判決は、ピアノを伴奏しても、教員の思想・良心は傷つかないという前提にたって下されました。これは判決文に付された藤田宙靖裁判官の反対意見が指摘するように、「踏み絵」(ピアノ伴奏)をしても「キリスト信仰」(思想・良心)は傷つかないという、無理な前提と人権への無感覚にたったものです。

 しかも事件は、東京都がこと細かい通達をだし異常な強制をはじめる四年前のものです。この判決をもって、教育委員会が憲法違反の強制を強めることは許されません。

式の主人公は子ども

 別れと新たな出会い、成長の節目である卒業式・入学式。子どもの成長をともに喜びあえる心のこもった式にしたい。このことを誰もが願っています。式の主人公は子どもであり、国旗・国歌ではありません。

 この国の人権と教育の営みを台無しにする強制をなくすことを心から訴えます。


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