2007年3月5日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPress
民主主義の党 日本に発見!
ドイツからの留学生
セバスティアン・マスローさん(24)
ドイツからの留学生、セバスティアン・マスローさん(24)は、東北大学の大学院で日本の政治や経済について研究をしています。目標はドイツと日本をつなぐ「懸け橋」になること。日本の社会をどう見ているのでしょうか。青年たちへのメッセージも聞きました。(伊藤悠希)
将来は研究者になりたいと考えているセバスティアンさん。昨年の九月、文部科学省奨学金留学生として東北大学の院に。当初は研究室に寝袋を置いて、日本語や英語の文献、資料を徹夜で読みふけりました。
研究にはフィールドワークも不可欠です。ネットワークづくりにも余念がありません。学会に参加したり、新聞記者に話を聞いたり、シンポジウムに参加して担当者に話を聞いたり…。
留学中に青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理場と住民運動の関係について論文を書く予定です。二月には研究のため日本共産党の本部を訪ね、原発問題と共産党の政策などについて取材しました。
“懸け橋に”
「ドイツでは日本のことを研究する人はあまりいません。僕が勉強することでドイツと日本をつなぐ懸け橋になればいいなと思っています」
日本共産党をどう見ているのでしょうか。
「失敗から学ぶことができるのが日本共産党です。日本の政治にいつも影響を与えてきました。日本共産党がなかったら野党はないでしょう。民主党は野党第一党というけれど、自民党との違いがわかりません」
「日本共産党は民主主義を守る上で大事な役割を果たしています。いっせい地方選挙など、すべての選挙区に候補者を立てようとするやり方は有権者に別の選択肢を与える意味でも重要です」
現在のマスコミ報道に対する懸念もあります。民主党も賛成した防衛庁が省になった一連の報道を例にあげながら「国民が賛成意見しか聞けないのは民主主義という点から問題です。有権者にもう一つの視点を知らせることが必要です。その役割を日本共産党は担っている」と指摘します。
日本共産党への注文もありました。
「若者へのアピールが弱いと思います。若者にとって魅力的な党にする努力ももっと必要ではないでしょうか。将来にかかわる問題だから若い世代に訴えかけなければならないと思います」
認識が一変
セバスティアンさんは首都ベルリンから一時間半ほどのところにあるハーフェルベルク市(旧東ドイツ)に生まれ育ちました。
一九九九年。高校生のとき、交換留学生として初来日し、和歌山県有田市の高校にきました。日本語は一言も話せませんでした。周りには英語を話せる人もいません。日本語を必死で覚え、一年後には日本語が好きになりました。ドイツとは違う生活習慣、文化に興味がわきました。
すっかり日本が気に入ったセバスティアンさん。帰国して三年ほど、専科大学で日本語の授業を聴講しました。
二〇〇三年、ベルリン自由大学に入学。日本語学と政治学を専攻しました(ドイツの大学は六年、修士制で専攻は二つ)。日本政治概論の授業で日本にも「共産党」があることを知りました。
「知っていた日本は、ものがあふれている、資本主義的な社会。政党は自民党だけで変化のない国だと思っていました。それまで認識していた『左翼』はソ連などの専制主義的なところだったので、民主主義を尊重している左翼もあるのかと驚きました」
日本語を習った先生から「しんぶん赤旗」のベルリン支局を紹介され、日本共産党の歴史についても勉強しました。
電話で取材
父親はドイツの地方紙の記者です。父親の勧めで十七歳で記事を書き始めました。日本についての記事は二〇〇五年の総選挙から。ドイツで紹介される日本は情報不足だと感じたからです。ドイツから、ネットやメール、電話で取材しました。神戸にいる友達に街頭で郵政民営化について意見を聞いてもらうこともしました。
小泉前首相の靖国神社参拝や教育基本法「改正」問題、核武装発言、安倍首相の支持率について、留学で来日した後の昨年十二月まで記事を書きました。左翼党の機関紙の役割を担っているノイエス・ドイチュラントや左翼系紙ユンゲ・ウェルトに掲載されました。
日本の青年へ
“社会を動かすのは僕たち”
日本の若者について。
「政治的な議論をできる人があまりいないと感じます。ものがあふれた社会だから考えなくなるのかな? 親が頑張って今の社会ができました。今の自分があるのは親、先生などの恩恵を受けたから。だから、消費するだけでなく返したい。社会とは自分の生活、将来にかかわっている場所。だから考え、参加してほしいですね」
ドイツの青年も、社会づくりに参加していないと言います。
「社会に貢献しなかったら何のために生きてるかわからなくなります。研究も役に立たなかったら意味がない。社会を動かしているのは国民です。それをみんながわかったら、明るい将来になるんじゃないでしょうか」
お悩みHunter
地方に転勤したいが高齢の母と2人生活
Q 父が病気で亡くなってから、七十歳近い母と二人で生活しています。会社勤めですが、母のことがあって地方への転勤は断っています。私はいま仕事がおもしろく、地方にもいってバリバリやりたい気持ち。母は「いいよ」というのですが最近、腰も曲がってきたようで…。悩んでいます。(30歳、女性。東京都)
それぞれの道を話し合って
A あなたはとても優しい方ですね。お母さんのことを思いやり、お母さんもまたあなたのことを思いやり、とても素敵な親子関係だなと感心しました。だからこそ、あなたが踏み出せない気持ちも分かります。
しかし、お母さんの立場に立って考えてみれば、自分のせいで娘がやりたい仕事もせず同居を続けてくれているのは、少し心苦しいのではないでしょうか? もし、お母さんに介護や、持病のために同居が必要ならば話は別ですが、そうでない限り、あなたは今、自分がやりたい仕事にまい進してよいのではないでしょうか。お母さんも了解してくださっていることですし、お母さんはあなたの優しさだけで十分うれしいと思います。
人生八十年と言われています。定年を迎えてから第二の人生を楽しんでいらっしゃる方々もたくさんいらっしゃいますよね。フラダンス、ヨガ、絵手紙、コーラス、憲法ミュージカルなどなどそれぞれの楽しみ方で輝いていらっしゃる方々のお姿に励まされることがよくあります。
いつも側にいなくても、お母さんはお母さんなりに、よりいっそう生きいきとした人生をおくる道を探すのではないでしょうか? もう一度、お母さんとお話ししてみてはどうでしょう。
舞台女優 有馬 理恵さん
「肝っ玉お母とその子供達」など多くの作品に出演。水上勉作「釈迦内柩唄」はライフワーク。日本平和委員会理事。