2007年1月23日(火)「しんぶん赤旗」
ベトナム 友好と連帯の旅
志位委員長が語る (上)
志位和夫委員長を団長とする日本共産党代表団は、ベトナム共産党の招待を受けて一月九日から十四日までベトナムを公式訪問しました。訪問の目的と内容、成果などについて志位委員長に聞きました。(聞き手 編集部。上下二回に分けて掲載します)
よい時期に、重要な成果をあげた訪問に
二十一世紀に両党関係を新しいレベルに引き上げることで一致
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――志位委員長のベトナム訪問について、編集局には詳しい内容を知りたいという要望がたくさん寄せられています。まず、今回の訪問の目的、成果についてお話しください。
志位 今回のベトナム訪問の目的は、日本共産党とベトナム共産党の四十一年にわたる友好と連帯の関係を、二十一世紀の今日の時代にふさわしく発展させることにありました。
両党の本格的な交流の出発点は、一九六六年の二月の会談です。当時の宮本(顕治)書記長を団長とし、不破(哲三)さん(前議長・現社会科学研究所所長)もくわわった日本共産党代表団と、レ・ズアン第一書記を中心とするベトナム労働党指導部が会談をしました。この会談は、五日間のべ三十時間におよび、途中でホー・チ・ミン主席も出席して発言したと聞きました。会談では、ベトナム侵略戦争に反対する国際統一戦線、国際情勢の見方などについて、両党の見解が多くの点で一致していることが確認されました。こうして両党の交流は、抗米救国戦争への戦闘的連帯の歴史としてはじまったのです。
実は、私も含めて今回の代表団のほとんどのメンバーにとっては、ベトナムとは、まず“青春”でした。私たちが青年だった時期に、ベトナム侵略戦争に反対する闘争が激しく日本でもわきおこり、私自身もその集会に参加し、「自由ベトナム行進曲」などをみんなで歌ったことを、胸を熱くして思い出します。
今回の訪問は、この友好と連帯の関係を、今日の時代にふさわしく発展させることが大きな目的でした。ベトナム共産党は、一九八六年の第六回党大会いらい、ドイモイ(刷新)の路線にとりくんでいます。「市場経済を通じて社会主義へ」という路線です。一方、日本共産党はこの間、新しい綱領を決定し、新たな前進をめざしています。
私は、ノン・ドク・マイン書記長、グエン・タン・ズン首相、ファム・クアン・ギ・ハノイ市党委員長(政治局員)、レ・タイン・ハイ・ホーチミン市党委員長(政治局員)、ドー・ホアイ・ナム社会科学院院長などとの会談をおこないましたが、これらの一連の会談を通じて、両党関係の新しい発展強化が確認されました。
マイン書記長は、私との会談の終わりにこう言いました。「二十一世紀に両党関係を新しいレベルに引き上げることで完全に一致したと確信しています。両党関係は永遠に、すばらしい関係として続くでしょう。両党にとって重要な幕開けです」。これは私たちの共通の気持ちでもありました。訪問は大きな成果をおさめました。
躍動感に満ち、発展しつつあるベトナムに出会った
――志位委員長にとっては、初めてのベトナム訪問でしたね。
志位 そうです。一九九四年四月に、ダオ・ズイ・トゥン政治局員・書記局員を団長とする訪日団がみえて、四日間にわたって理論問題を中心に会談をおこなったことがあります。いまは国会議長をやっているグエン・フー・チョンさん(当時は『コンサン』誌編集長)もみえました。私が日本側の団長をつとめ、つっこんだ長い会談をやりました。
そのときに、ベトナム側から「ぜひハノイに」と招待を受けたのです。そのときからベトナム訪問というのは私の念願であり、宿題だったのですけれども、十三年ぶりに宿題を果たしたということになります。
直接には、去年の党大会(第二十四回大会)に来賓としてみえたベトナムの代表団、十一月の「赤旗まつり」に来賓としてみえたベトナム代表団から重ねて招待をうけました。ですから、この機会にと思いまして、十三年間の宿題だった訪問を、今回こそ果たそうと思って訪問しました。訪問自体が、私にとって大きな喜びでした。
――ベトナム側のみなさんは「たいへんよい時期の訪問だった」といわれていたとうかがいましたが。
志位 はい。まずそれは、ベトナムにとって、よい時期だったということだと思います。ベトナムはこの二十年来、ドイモイという路線をすすめてきましたが、それがいま本格的な前進を開始しています。経済が発展し、この数年間は、経済成長率が年率で7%から8%という数字が出ています。二〇〇六年の経済成長率は、8・2%ということでした。とくに私たちが注目したのは貧困削減がすすみ、一九九四年から二〇〇四年までの十年間に貧困世帯が58%から20%に減ったということでした。
ドイモイ路線の前進によって、ベトナムは国際政治、経済に占める地位も向上し、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の議長国も務め、WTO(世界貿易機関)にも加盟を果たしました。ベトナム国民が未来への大きな希望に輝いているという時期の訪問になったと思います。
ちょうど私たちがベトナムへ出発する前に、アメリカのギャラップ社という世論調査会社がおこなった調査結果の報道に接しました。昨年末に、世界五十三カ国・地域でおこなった調査で、「二〇〇七年は〇六年より良い年になると思いますか」という設問にたいして、「良い年になる」と答えた人の割合が一位だったのがベトナムの94%だった。日本は五十二位で、19%でした。この数字には、喜んでいいのか、悲しむべきか、複雑な思いですけれども(笑い)、ベトナム国民の多くが、明日の生活は良くなるという希望を持っている。私たちは、町の活気、人々の明るい表情に強い感銘を受けました。それは、ハノイ大学での若いみなさんとの交流でも感じました。私たちは、躍動感に満ち、輝いて、発展しつつあるベトナムに出会ったというのが実感です。
――ところで、気候はいかがでしたか。
志位 気候も良かったですよ。ハノイ市では最高の季節だといわれました。気温は一五度から二〇度くらい、乾期ですから湿度は低く、さわやかな気候でした。ホーチミン市は、日差しが強く気温は高いのですが、木陰に入るととってもさわやかですし、両都市とも、緑は息をのむような美しさでした。
世界平和での協力、理論交流での合意
――マイン書記長との会談
世界の平和秩序、イラク、北朝鮮、核廃絶の問題などで協力を確認
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――マイン書記長との会談は、両党の責任者同士の直接の話し合いで、重要なものとなったと思いますが、どういう内容のものだったのでしょうか。
志位 マイン書記長との会談は、二〇〇二年に書記長が来日して、東京で不破議長(当時)とともに会談して以来二度目です。約一時間の会談の後、二時間半あまりの夕食会がありまして、これも事実上の会談の続きでしたから、じっくりといろいろな問題を話し合える機会となりました。二つの点で重要な合意がありました。
第一は、両党が世界とアジアの平和のために協力するということです。ベトナム侵略戦争に反対した時期は、「アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線」がスローガンだったわけですが、今日では、さらに幅広い国々、人々を結集しうるスローガンで協力することができます。すなわち、「国連憲章にもとづく平和秩序をきずき、どんな国であれ覇権主義を許さない」――この立場で協力することで一致しました。
この角度から、アジア全体を見ますと、平和の大きな流れが起こっています。とくに東南アジアでは、ベトナム戦争では敵味方だった国々がASEAN(東南アジア諸国連合)という平和の共同体を発展させ、ベトナムはその有力な一員となっています。ASEANが中心になってむすばれているTAC(東南アジア友好協力条約)には、地球人口の半分以上を擁する国々が加入して、すばらしい発展をしています。
さらに、おとなりを見ますと、ユーラシア大陸の中央部には、ロシア、中央アジア諸国、中国、南アジア諸国が参加するSCO(上海協力機構)が、平和の共同体として発展しつつあります。
アジア大陸に平和の流れが広がるなかで、懸念すべき問題が二つあると、私は、マイン書記長に話しました。
一つは、イラク問題です。マイン書記長と私たちが二〇〇二年に会談したさいに、イラク戦争反対という一致点を確認したのですが、それが正しかったことは歴史によって証明されました。無法な侵略戦争と占領支配によって、いまイラクは「内戦状態」といわれる事態におちいり、ここから抜け出すには、米軍など占領軍の期限を決めた撤退が必要だということを、私は話しました。
もう一つは、北朝鮮問題です。北朝鮮に核兵器と核開発計画を放棄させる必要がありますが、その手段は、外交的・平和的解決が何よりも大切です。とくに昨年の国連安保理決議、一昨年九月の六カ国協議の共同声明を順守することが大事だと話しました。そして、この共同声明の中には日朝平壌宣言の順守も盛り込まれたわけですから、この宣言にそって、日朝間の関係も敵対から協調に変えていく必要がある。こうした二つの懸念すべき問題の解決を、私から提起しました。
――マイン書記長の立場はどういうものでしたか。
志位 マイン書記長は、「志位委員長の見解は私の見解と同じものです」とのべました。とくに、イラクについては、「いまこの問題を解決できなければ、今後、もっと事態は深刻化します」とのべました。さらに、北朝鮮の核問題の解決についても、「私たちもみなさんの考えと同じです。平和的な話し合いによって解決すべきだと思います」とのべました。
今日の世界とアジアの平和をめぐる問題では、両党間の見解はほとんど一致します。国連憲章にもとづく平和秩序をつくるという、いま世界の圧倒的多数の国々や人々が一致している課題で、両党が、二十一世紀にふさわしい形で、いろいろな協力が可能だと感じました。
――大きな共通の土台があって、そのうえで大事な国際問題で協力していこうということですね。核兵器問題も議論になったと聞きました。
志位 はい。ベトナムは、この間、原水爆禁止世界大会に毎年代表団を派遣し、国家主席が心のこもったメッセージを寄せてくれています。私は、マイン書記長に、このことに感謝するとともに、「ベトナムは、枯れ葉剤という幾世代にもわたって被害が及ぶ大量殺戮(さつりく)兵器による被害を受けてきた国であり、一方で日本は唯一の被爆国であり、共通の痛みを体験してきています。すべての核兵器、大量破壊兵器を、地球から廃絶するために、両党が力をあわせたい」という話をしました。
マイン書記長からは、「まったく賛成です。日本国民とベトナム国民は、共に大量殺戮兵器の被害者です。ベトナム戦争でも多くの国民が犠牲になりました。したがって、核兵器を世界からなくすために、日本とベトナム、全世界の人民と力をあわせたい」という力強い答えが返ってきました。この問題では、両国が幾世代にわたる甚大な被害を受けてきたという共通の痛みがあるし、共同のたたかいをさらに強めることができるということを感じました。
両党で理論交流をすすめることで合意したことの意義
――もう一つ、両党で理論交流をすすめることでも合意があったとうかがいましたが。
志位 はい。これはたいへん大事な合意だったと思っています。私は、それぞれの党がいまどういう問題にとりくんでいるのかということを考えながら、この問題について話し合いました。
ベトナムは、いまドイモイ路線を前進させつつある国です。私は、マイン書記長との会談で、ドイモイに対して、二つの角度から注目しているとのべました。
一つは、「社会主義志向の市場経済」の道を前進させているということです。経済発展とともに、貧困削減がすすみ、国連機関やIMF(国際通貨基金)からも「目覚ましい成果」だと高い評価を受けるような前進がつくられつつあります。
「市場経済を通じて社会主義」という道は、レーニンが、「ネップ」(新経済政策)とよばれた政策のなかで初めてとりくもうとした道ですけれども、だれもこの道を最後まで歩き通した経験はないわけです。人類史上未踏の道を歩き通し、ぜひ成功させてほしいということを、まず言いました。
もう一つは、外交面でも、ベトナムはドイモイ(刷新)をすすめているということです。ベトナム共産党は、それを外交の「多角化、多様化」と表現しています。すなわちドイモイを前進させるためには、平和的な国際環境が必要であり、それをつくるために世界のあらゆる諸国と友好関係を追求するということが外交の大方針になっています。ASEANの一員としてベトナムが積極的な役割を果たす。中国との関係も改善し発展させる。日本との関係も友好関係を前進させる。米国との関係も――あれだけベトナムに戦争で被害をあたえた国ですけれども――関係を改善し経済関係も発展させています。「全方位外交」ともよく言われますけれども、これは歓迎すべき道理ある方針だと思います。私は、この二つに注目していると言いました。
――この注目点というのは、ベトナムがいま苦労しながらとりくんでいることですね。
志位 そうですね。相手の国が苦労しながら努力していることを、私たちも研究し、道理のある方向については歓迎する。そうすると気持ちが通じ合う、響きあうという感じがします。
――大事なことですね。
志位 はい。一方、日本共産党はどうかというと、この間、綱領を改定し、いろいろな新しい理論的境地を開きました。たとえば、未来社会論を大きく発展させました。すなわち、従来の分配による二段階論――まず社会主義、つぎが共産主義という「定説」を大胆に清算して、「生産手段の社会化」を社会主義的変革の中心にすえました。そして、社会主義・共産主義にいたる過渡期には、「市場経済を通じて社会主義に進む」という路線をとることも綱領に明記しました。
二十一世紀の世界論についても、二十世紀におこった世界の二つの構造変化――(1)一九一七年のロシア革命を転機に、世界は、社会主義をめざす体制と資本主義体制が共存する時代に入ったこと、(2)植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序がつくられたこと――をふまえて二十一世紀の世界をとらえるという角度から、理論的な前進をはかりました。わが党の世界論は、理論とともに、野党外交という実践によっても、豊かに発展させられています。そして私たちは、高度に発達した資本主義国という条件のもとで、独自の困難にもぶつかり、それを打破しながら、前途を切り開くために奮闘しているさなかにある党です。
条件は異なりますが、それぞれが新しい道を開こうとしている両党が、理論交流をすすめることには意義があると考えました。とくに社会主義の問題、二十一世紀の世界論、現代資本主義の問題などについての理論交流は、大きな意義があると考えていました。
――条件は違うけれど、とりくんでいる問題には共通性がある両党が、理論面での交流をはかるということですね。
志位 そうです。マイン書記長との会談に先立つ、ナム社会科学院院長との会談では、三時間あまりにわたって、ドイモイと社会主義にかかわる理論問題について話し合いました。この会談の最後に、先方から、「科学的な交流を強く望んでいます。ベトナムの社会科学院と日本共産党の社会科学研究所との交流をすすめたい」という話がありました。私は、それをうけて、「大いにすすめましょう」というやりとりがあったのです。
私は、マイン書記長との会談で、ドイモイにたいする注目や期待をのべながら、「ベトナムは社会主義への道を実際に探求している国です。私たちにとっては社会主義は未来の課題ですが、私たちは理論的研究の課題として重視しています。『社会主義志向の市場経済』の道をベトナムは探求していますが、社会主義とはもともとは資本主義批判から生まれたものです。私たちは高度に発達した資本主義国でたたかっている党として、資本主義の害悪をいやというほど毎日体験しています。両党間で理論交流を本格的にすすめることは意義があると思います」という提起をしました。
マイン書記長は、「提案を歓迎します。そういう交流は短い時間ではできませんから」と応じました。長期の展望にたって理論交流にとりくむことを、両党の責任者の間で合意したことは、意義があることだと思います。
「竿を使って探りながら、着実に慎重にすすむ」
――ベトナム共産党は、社会主義をめざす事業において、理論の役割をどう位置づけているのでしょうか。
志位 私は、マイン書記長との会談を通して、ベトナムがドイモイをすすめるにあたって、理論をたいへん重視しているという姿勢を感じました。すなわち、まず実践に踏み出す。それを総括し理論化する。さらにそれを実践で試していく。実践と理論を一体のものとして重視し、前途を開こうという姿勢を強く感じました。
私との会談で、マイン書記長がつぎのようにのべたことが、印象的でした。
「志位委員長のおっしゃった通り、ドイモイとは前例のない道の探求です。実践を総括しながら新しい道を探求します。抗米救国闘争と同じようにドイモイを推進するということです。川を渡るとき、水が濁っていて、どう進めば向こう岸に着くか分からないが、竿(さお)を使って探りながら、着実に慎重に進むことが大切です」。
この「竿」というのがおそらく理論のことなのだと思います。一歩一歩、「竿」――理論を使って、道をたしかめながら前途を開いていこうということだと思います。この言葉はたいへん印象的でした。実践のなかで理論を重視していこうという姿勢が、私たちに強く伝わってくるやりとりでした。
夕食会での楽しいやりとり
――外交方針でも響きあう
日本共産党の野党外交と、ベトナムの「全方位」外交
――そういうやりとりが一時間にわたっておこなわれて、そのあと同じ場所で夕食会になっていったわけでしょうか。
志位 私たちを歓迎してくれた夕食会は、ちょっと少し離れたところでやったわけですが(笑い)、心の底から両党の気持ちが通じあったと感じられるようなたいへんに楽しい夕食会になりました。夕食会といっても、食べるだけでなく、事実上の会談の延長で、いろいろな共通点をお互いに発見した、話し合いとなりました。
たとえば外交方針の問題です。ベトナムの党は政権党であり、私たちは野党です。そういう違いはあるのですけれども、世界の政府や政党と幅広くいわば「全方位」で交流するという点では、共通した外交方針をとっていることが、双方から出されて、たいへんに響きあうものがありました。
まずマイン書記長が話したのは、いまラテンアメリカの変化に注目しているという話でした。そこで私が、日本共産党も、最近、緒方(靖夫)副委員長がベネズエラに行ってチャベス大統領とも会ったと話しましたら、マイン書記長からは、チャベス大統領はベトナムを訪問して、いろいろ話し合ったという話が紹介されました。
――両党の共通の友人ということですね。
志位 ええ。両党が同じところに着目しているのは、まずたいへん印象的でした。さらに私は、インドで起こっている変化について話しました。とくに西ベンガル州、ケララ州、トリプラ州という三つの州で、インド共産党(マルクス主義=CPIM)を中心とした左翼連合の州政府が勝利し前進をおさめていることに注目している、私たちはインドとの交流も重視しているという話をしました。
そうしますと先方も、おおいにインドを重視しているということです。そのさい、インド共産党(マルクス主義)などの左翼政党だけでなく、政権党とも交流しているということでした。これは私たちも同じで、インド共産党(マルクス主義)とともに国民会議派などとの交流もしていると話しました。ベトナムは、政党間の関係でも、共産党間だけの交流にとどまらず、幅広い交流をすすめていることがうかがわれました。
私は、日本共産党が、イスラム諸国との交流を発展させている話もしまして、サウジアラビアやパキスタンとの交流も話しました。
マイン書記長は、「ベトナム共産党は、世界の数十の政党と関係があります」といっていました。私は、「日本共産党は、一九九九年に外交方針を発展させて、相手が保守の党であろうと、進歩的な党であろうと、どんな政党とも交流の意思のある政党と交流をすすめる方針に発展させました。あなた方の言葉を使えば『外交の多様化』です」と言いましたら、マイン書記長と意気投合して、「多様性に乾杯」ということで(笑い)、みんなで乾杯となりました。
ベトナムと韓国の友好関係が発展している
――楽しいですね。乾杯をずいぶん繰り返す機会があったとうかがいましたが、それだけ意見が一致したというか、意気投合したということでしょうか。
志位 そうですね。意気投合するたびに乾杯をして(笑い)、二十数回にもなったようです。(笑い)
外交の問題では、韓国訪問も話題になりました。私は、昨年九月に初めての韓国訪問をおこない、「全方位」で韓国の国会に議席を持つすべての政党のリーダーと会談したという話をしました。同時に、韓国ではかつてベトナム戦争に約五万人を派兵したことがありますが、それへの反省の動きが韓国のなかでいろいろな形で出ていると聞いたということも話しました。
そうしますと、マイン書記長から、ベトナムと韓国との友好関係も大きく前進しているという話を聞くことができました。マイン書記長が、かつて国会議長として訪韓したさいにも、韓国の大統領がベトナムを訪問したさいにも、韓国がかつてベトナムでおこなったことへのお詫(わ)びが表明されたとのことでした。「韓国軍が被害を及ぼした地域で小学校を建てるなど、開発、援助プロジェクトにとりくんでくれています」という話も聞きました。
私たちは、去年九月の訪韓で、韓国における民主主義のダイナミックな発展のプロセスを目の当たりにしてきました。それだけに、韓国がべトナム侵略戦争への参加という自らの歴史問題に正面から向き合って、ベトナムと韓国の友好関係が発展していることも、たいへんにうれしい思いで聞きました。ここにも共通の友人がいるということを知ったことは、とても感慨深いことでした。
旧日本軍による二百万人におよぶ餓死者について
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――たいへん興味深いお話ですね。ところで、日本とベトナムの間にも歴史問題があります。二百万人の犠牲者の追悼碑を最初に訪問されたという話をうかがいました。
志位 ハノイに着いてまず訪れました。かつて、日本軍国主義の侵略によって、一九四四年から四五年の時期に、日本の軍隊が農民の食糧を大量に奪い、二百万人ものベトナム人が餓死するという、たいへんな痛ましい事態が引き起こされました。
ベトナムのグエン・タン・ズン首相が昨年十月に来日したさいに、国会で演説をしたのですが、それにこたえて河野衆院議長があいさつして、ベトナムの「独立不羈(ふき)の精神」をたたえるとともに、この大量餓死問題にふれて、「日本がかつて重大な被害を与えたことを忘れてはならない」とのべたことがあります。私は、このあいさつにも触れて、「河野議長のあいさつは良いものでした。日本の自民党の政治家のなかにも良識のある人はいます」ということをのべながら、「日本共産党は、あの侵略戦争に命がけで反対した政党です。かつての侵略戦争によってベトナム人民に重大な被害を与えたことは、日本国民としては忘れてはならないと考えて、追悼碑を訪問し、追悼の献花と焼香をしました」とのべました。
マイン書記長は、「その報告は聞きました」と言って、「みなさんの行動は非常に情の深い行動だと印象を持ちました」と応じました。ベトナム政府は、いまこの問題について日本に外交問題を提起するということはやっていませんが、日本人としては、決して忘れてはならない問題だと思います。
ベトナム、中国、日本共産党
――関係改善と友好関係の発展
――現地の特派員から、志位委員長の追悼碑の訪問については、ベトナム側は、「非常に心に深く刻んでいる」という報告がありました。ところでこの夕食会では、中国との関係でも話題になったとうかがいました。
志位 ベトナムは中国とは一時悪い関係にあった時期があります。ところがいまではすっかり改善されている様子でした。ついさきほどのAPEC首脳会議のさいには、中国の胡錦濤国家主席は、私と同じ場所でマイン書記長と会談し、会食したということでした。マイン書記長は、夕食会のさいに、「いま志位委員長が座っている席に、胡錦濤主席が座っていたのですよ」と言っていました。
中国とベトナムは、それぞれの特色があるし、それぞれの流儀がありますが、「市場経済を通じて社会主義」をめざすという道は共通しています。両党で理論交流もおこなっているという話でした。
中国共産党は、中国の展望について、「いまは社会主義の初級段階で、これを卒業するのに百年かかる」と言っています。ベトナム共産党は、「ベトナムは、いまは社会主義への過渡期にある」と言っています。たいへん興味深かったのは、中国側から「この過渡期はどれくらいかかるのですか」という質問を受けたというのです。
それにたいしてマイン書記長は、「非常に慎重を要する重要なことです。われわれは過渡期の初めに入っています。しかしわれわれはどれくらいの年月がかかるか、科学的な根拠は持てないでいます。長い期間がかかりますが、社会主義志向は堅持します」と、答えたとのことでした。中国側は、その答えに「賢明な判断です」と応じたそうですが、私も、ベトナムの立場に、堅実なリアリズムを感じました。社会主義という目標を堅持しながら、長い展望に立って一歩一歩すすんでいこう、そしていついつまでと決められるものではないという説明に、私は、そのとおりだなと思い、ひざを打って聞きました。
中国共産党との関係では、日本共産党も、かつて毛沢東派による干渉問題という歴史問題があったのですが、これを道理にたって気持ちよく解決し、両党関係を正常化した一九九八年以来、関係が大きく発展しています。ベトナムも一時の不幸な時期を克服して、中国との関係が改善し、大きく前進・発展しています。
マイン書記長が、私にたいして、「近隣諸国は永遠に近隣で、新しく近隣の国ができることはありません。だから両国の間のスローガンも、『隣国友好、全面協力、長期安定、未来志向』の十六文字の原則になっています」と言っていたのがたいへん印象的でした。「新しく近隣の国ができることはありません」とはその通りですね。(笑い)
ベトナムと中国は、両国とも社会主義をめざす道をすすむうえで、何よりも平和的な国際環境をつくることを願っています。両国とも願っているわけですから、両国の間で平和の関係が前進するというのは、自然で当然な流れになると感じました。これは双方と友好の関係にあるわが党にとっても、たいへんにうれしいことでした。
ベトナムとアメリカの関係について
――アメリカとの関係ですが、昨年十一月、ブッシュ大統領がAPEC首脳会議に参加するためにハノイを訪れたということでしたけれども、そのことも話題になりましたか。
志位 話題になりました。ベトナムとアメリカとは一九九五年に国交を正常化して、経済的関係も大いに発展しているなかで、APEC首脳会議でのブッシュ大統領のベトナム訪問ということになったわけです。かつてこの国を侵略した国の指導者を、どういう気持ちで迎えたのだろう。私は、「ブッシュ大統領のハノイ訪問はどうでしたか」と聞きました。それにたいするマイン書記長の答えはこういうものでした。
「国の客として迎えました。米国はかつて悪いことをやり、私たちに大きな損害を与えましたが、しかしベトナム人は体は小さいが度量を持っているので、そのことを許します。そのことが新しい展望を開くと信じています。そのことによってベトナムが世界の各国から尊重されると考えています。経済は途上国ですが、心は温かいのです」。
この言葉を聞き、私は、ベトナムの寛容さと度量に、たいへん深い感動を覚えました。私は、マイン書記長にこう語りかけました。「ベトナム人民はアメリカに二度勝ちました。初めは戦争で勝利しました。つぎにいま道徳においても勝っています」。また「乾杯」となりました。(笑い)
社会主義の理想について
――「人民が主人公」に乾杯
――社会主義についてもいろいろな話し合いがおこなわれたとうかがいました。
志位 マイン書記長は、ベトナムがめざす社会主義の理想について語りました。ホー・チ・ミン主席の言葉を使い、「民族独立は社会主義につながり、人民が社会の主人公というのが一番重要なことです。私たちの理想です」とのべました。もう一つ印象深かったのは、「社会主義への過程においては搾取が存在します。しかし、どんな困難があっても国の予算は貧困対策に優先して使わなければなりません」というものでした。
これらの発言は、社会主義の精神を語るものとして、たいへん印象深く耳に残っています。私も、日本共産党がめざす社会主義とは何かを語りました。私たちが「生産手段の社会化」を、社会主義的変革の中心にすえていること、とくに「生産者が主人公」という原則を綱領に明記していることなどです。また、その前の段階は、資本主義の枠内での民主主義的変革を目標にしていますが、社会発展の全段階で、国民の暮らしを量質ともに豊かにしていくことが大方針だとのべました。夕食会の席ですから、あまり理屈っぽい話をやったわけではないですけれども、社会主義についても、日本共産党の綱領の精神との響きあいというものを感じました。
――そうすると「生産者が主人公」というところで、また大きな乾杯でしたか。(笑い)
志位 そうですね(笑い)。「人民が主人公」「生産者が主人公」に乾杯でした。
会談をつうじて感じたのは、ベトナムがドイモイ路線にたいして自信をもって、たしかな足どりで前進を開始していることでした。そして同時に謙虚さを感じました。
去年開かれたベトナム共産党の第十回党大会決定をよむと、さまざまな欠陥への反省や、理論的に未解明な問題についてものべています。そうしたこともきちんと認めているということをマイン書記長も語っていました。
そういう話し合いの結論として、多くの問題での立場の一致が確認されて、「両党関係を新しいレベルに引き上げる」ということへの合意がつくられたことは、たいへんにうれしいことでした。会談と夕食会がすべて終わったあとで、マイン書記長と私は手をつないで建物の出口までの廊下を一緒に歩き、書記長は私たちを見送ってくれました。代表団への最高のもてなしに、私たちは感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ベトナム政府と日本共産党との公的関係
――ズン首相との会談
両国の友好関係をより豊かなものに
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――両党のトップ会談で、これだけ広範囲のことが話され、これだけ多くの一致が得られるということは、ほんとうに大きな意義があるなとつくづく思いました。その翌日のグエン・タン・ズン首相との会談も意義深いものだったようですが。
志位 ズン首相との会談は、ベトナム政府と日本共産党との公式の関係をつくったという点で、独特の意義があるものとなったと思います。私がたいへん印象深く覚えているのは、首相がまず冒頭でつぎのようにのべたことです。
「ベトナム政府を代表し、また首相として、志位委員長をはじめとする日本共産党代表団を歓迎いたします。私は、志位委員長のベトナム訪問を高く評価しています。それから私は、今度の訪問でマイン書記長と志位委員長の会談の結果を高く評価しています。ベトナムと日本の関係は非常に良好に促進されています。今回の志位委員長のベトナム訪問は、両党、両国、両政府の関係の促進に大きな貢献になることを確信しています」
ズン首相が、最初にこの言葉をのべるのを聞いたときに、まず「政府を代表し、首相として」私たちの訪問を歓迎するということ、そして日本とベトナムの両国関係が良好ななかでの私たちの訪問の意義について、先方の立場がはっきりのべられていることに、私たちはたいへん強い印象を受けました。
私は、それを受けて、ドイモイの前進のどこに私たちが注目しているか、またこの事業が成功することへの期待をのべたあと、「日本とベトナム政府間の関係は良好です。両党の関係も、良好な政府の関係をさらに豊かにする方向を探求したいと思います」とのべました。そうしますとズン首相は、「志位委員長の非常に温かい言葉に感謝し、熱烈に歓迎します」と応じました。
日本とベトナムの政府間で良好な関係がつくられているときに、野党である日本共産党がどういう役割を果たすかというのは、新しい重要な問題です。
――そうですね。政府間の関係が良くなると、相手国の野党との関係が悪くなると考えがちですが、そうではないのですね。
志位 ええ。私は、「日本・ベトナム両国間に良好な関係がつくられていることを歓迎します」という態度をのべ、「それをより豊かにするために野党としてできる寄与は大いにやっていくつもりです」と話しました。同時に、私たちは共産党ですから、私は、こうものべました。
「同時に、私たちは、共産党同士の関係として、別の寄与もあると思います。それはみなさんが社会主義を志向しているという一点においてです。そうであるからこそみなさんは苦労されていると思います。日本のような資本主義国になるのなら、苦労はいらないでしょう」(笑い)。そしてこうつづけました。
「社会主義をめざす探求と実践をすすめているのがベトナム共産党です。そして社会主義とは資本主義批判から生まれた思想であり、高度に発達した資本主義国で、社会主義・共産主義をめざす理論と実践を探求・発展させているのが日本共産党です。そういう両党が理論交流を進めることをマイン書記長との間で合意しました」。
そうしたらズン首相は、「委員長と書記長との会談で、理論面での協力に一致したことに、大賛成を表明します」とのべました。
ベトナムのメディアは日本共産党の訪問をどう伝えたか
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――日本の一部メディアでは、日本とベトナムの両国関係が良好になっている、そうすると日本共産党の役割には限界があるとの記事が出ましたが。
志位 これはまったく見当違いのうわべの見方ですね。両国の政府間の関係が良くなることは歓迎すべきことであって、私たちはそれにケチをつけるような了見の狭い党ではありません。同時に、両党の関係強化は、両国関係をより豊かにすることに寄与することになる。先ほどのべた世界平和での協力や理論交流をすすめることは、その中身になってくると思います。
これはズン首相と私との会談を報道した、「ベトナムニュース」紙です。一面トップの記事で「日本共産党の指導者、首相と会談」という見出しですが、そこでは、ズン首相が「志位委員長の訪問は、二つの党、二つの政府、二つの国民間のより発展した関係への重要な寄与となった」と語ったと、今回の訪問の意義を伝えています。ベトナム政府の側も、私たちの訪問が、両国関係をより豊かにするという位置づけをしていることが、この報道からもうかがえました。
――編集局でもインターネットで、毎日報道が読めるのですよ。私たちもフォローしていました。ベトナムでは連日大きな報道があったようですね。
志位 大きく報道していたようです。いくつか持ってきましたけど、「ベトナムニュース」紙では、一月十一日付でマイン書記長との会談が一面トップでカラー写真入りで大きく出ました。十二日付でズン首相との会談が、これも一面トップ記事で出ました。「ニャンザン」紙も、一面で大きな写真入りで報じました。「クアンドイ・ニャンザン」紙はカラー写真入りで一面トップで報じました。テレビも、夜七時のトップニュースでかなり詳しく連日報道していたようです。「トゥオイチェ」という若い人たちにたいへんよく読まれている新聞があるんですけれど、この新聞からは現地でインタビューを受けて、その記事も掲載されました。
こうした一連のメディアの報道もあり、私たちの訪問は、ベトナム国民にもかなり知られたと思います。私たちがハノイの救国戦争軍事博物館に見学に行きますと、女子学生のみなさんが日本共産党の委員長だと聞いて、たくさん集まってきたんですね。同行スタッフが、「チューティク・ダン・コンサン」(主席、党、共産)と説明したところで、「日本共産党の委員長ですね」と集まってきて、「テレビのニュースで知った」とのことでした。若いみなさんと記念撮影もおこない、たいへん楽しいひと時でした。(つづく)
日本共産党代表団の構成は次のとおりです。
団 長 志位和夫(幹部会委員長・衆議院議員)
副団長 緒方靖夫(幹部会副委員長・国際局長・参議院議員)
団 員 森原公敏(幹部会委員・国際局次長)
山口富男(幹部会委員・社会科学研究所副所長)
植木俊雄(幹部会委員・広報部部長)
笠井 亮(中央委員・国際局次長・衆議院議員)
■日本共産党代表団のベトナム訪問スケジュール(1月9日〜14日)
9日(火)
午後 ハノイ・ノイバイ国際空港着
カムティエン記念碑献花
ビントゥイ記念碑(餓死記念碑)献花
チャン・バン・ハン対外委員会副委員長と会談・歓迎夕食会
10日(水)
午前 ホー・チ・ミン廟、旧居訪問
ドー・ホアイ・ナム・ベトナム社会科学院院長と会談
午後 文廟、軍事博物館訪問
ノン・ドク・マイン党書記長と会談(党本部)
マイン書記長主催歓迎夕食会(同)
11日(木)
午前 ソンロン・プラスチック協同組合訪問
午後 ファム・クアン・ギ党ハノイ市委員長と会談
情報関連企業FPT訪問
グエン・タン・ズン首相と会談(国家会議センター)
12日(金)
午前 国立ハノイ大学訪問・学長と懇談、学生に講演・質疑
午後 ホーチミン市タンソンニャット空港着
13日(土)
午前 サイゴン・ハイテク・パーク管理委員会訪問・進出企業(Nidec)視察
ツズー病院訪問(ドクさんと面談)
午後 クアン・チュン・ソフトウェア・シティー訪問、進出企業(UK BRAIN)視察
レ・タイン・ハイ党ホーチミン市委員長と会談
グエン・バン・ドゥア同副委員長主催歓迎夕食会
14日(日)
午前 クチ・トンネル歴史遺跡区訪問(地下トンネル)
午後 戦争証跡博物館訪問
トンニャット宮殿(旧サイゴン政権大統領官邸)訪問