2002年12月31日(火)「しんぶん赤旗」
日本経団連は二〇〇三年一月一日付で公表する二〇二五年までの長期ビジョンに、「政治献金に関する指針」を策定することを盛り込みます。
指針について経団連は、献金額を業界ごとに割り振る「献金あっせん」の再開ではなく、企業献金に直接関与しないとしています。しかし、経済団体が献金について指針を示すことは、「カネも出すが口も出す」(奥田碩会長)立場から、企業献金をいっそう推奨するものです。
指針では、政党の政策や実績に対する評価基準を作成して会員企業に示すとしています。企業がカネを出す裏には、大企業向けの優遇税制など財界が要求する政策決定への圧力がつきまといます。
奥田会長は就任時の会見(五月二十八日)で、旧経団連の献金あっせんを再開するかどうかについて「政治とカネの問題が落ち着く先を見て結論を決めたい」とのべていました。
五月といえば、北方支援をめぐる鈴木宗男衆院議員の一連の疑惑をはじめ、加藤紘一元自民党幹事長など政治家の肩書を利用した公共事業口利き事件が相次ぎ、政治とカネの問題が沸騰していたときです。献金を受ける政治家とカネを出す企業の双方に厳しい世論の目が向けられていました。
本来なら、献金の強化でなく、企業が襟を正して腐敗の温床となる企業献金をきっぱりやめる方向に進むべきでした。
もともと旧経団連が企業献金のあっせん廃止に踏み切ったのは、金権腐敗政治への国民の怒りを無視できなくなったからです。あっせん廃止を決めた一九九三年には金丸信自民党元副総裁が脱税容疑で逮捕され、ゼネコン汚職が各地で噴出していました。
それまでに旧経団連が自民党などに提供していた企業献金額は年間約百四十億円にものぼります。これについて当時の経団連は「自由主義経済体制の維持、議会制民主主義の発展にあたって、重要な役割を果たしてきた」(「企業献金に関する考え方」九三年九月)と開き直りの認識を示していました。
あっせん廃止後には年間三百億円以上の税金を政党にばらまく政党助成制度が創設され、自民党などは助成金への依存を深めていきます。一方で、政党への企業・団体献金を「見直す」とした制度創設時の規定は、五年後に自民党などによってほごにされました。
献金再開にあたって小泉純一郎首相や山崎拓幹事長はいち早く歓迎の意向を表明。自民党側の呼びかけで、不定期だった日本経団連との政策協議を定例化することでも合意しています。
憲法違反の政党助成金にすがりつつ、いっせい地方選や総選挙をにらみ企業献金の増額を期待する自民党側の思惑と、企業献金を強化し政権運営への発言力を強めようとする財界の姿勢。今回の日本経団連の方針は二つの道があいまっていっそう癒着を強め、「政治とカネ」問題の解決に逆行するものです。(古荘智子記者)