日本共産党

2002年11月16日(土)「しんぶん赤旗」

イラク和平ミッションの24日間(5)

日本共産党 中東・湾岸6カ国訪問

党国際局長・参院議員 緒方靖夫

“つき合わず”から友人へ


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アラブ民族衣装姿のアッカーズ・サウジアラビア諮問評議会外交委員長と会談する緒方氏=リヤド

 日本政府にたいしては、「期待」という形で要望が語られました。ある国の外務省高官は、「イラクの戦争にたいして、日本政府はノーといってほしい」とのべていました。ヨルダン局長代行は、「日本はいつまでもアラブの友人でいつづけてほしい」という言葉で、アラブの期待を裏切らないでほしいという希望を表明しました。

 アラブ連盟は、パレスチナ問題で、パレスチナ・アラブ諸国ともイスラエルともいい関係をもっている日本政府は、もっと積極的な外交をすすめることができると強調しました。「侵略者と被抑圧者の間に中立的な立場はない」とのべていたのが印象的でした。

日本外交を激励

 私は、日本の将来の外交のあるべき姿として、「アメリカとの関係で自主性をもった外交が大切」とのべると、「それが日本外交の課題」と、ほとんどの人がうなずいていました。そして、「もっと政治的な存在感を」という一言で、日本外交を「叱咤(しった)激励」しました。日本が侵略戦争や植民地支配をしてきたアジア諸国とは、対日感情は大きく違っています。

 私たちの訪問も、この親日感情に助けられ、その国の共産党ということで注目され扱われた面もありました。その共産党が、この地域と世界の平和にとっての緊急の課題で遠路はるばるかけつけたというイニシアティブが、親近感と理解を促進することになったと痛感しています。

 思いがけない初訪問となったサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国へは、イラク和平の会談と同時に、日本共産党を自己紹介する友好訪問として臨みました。サウジアラビアへの日本共産党代表の入国については、日本大使館関係者が「画期的」と評価しました。

 私にとっては、入国まで夢にも描けなかったことでした。湾岸戦争のときに、党の書簡をもってサウジ大使を訪ねたときに、「共産主義者とは会わないのが原則」といわれながら、握手もなく、五メートルある長いテーブルの端と端で大声で話をした経験からすると、信じられないことです。

 サウジでは私たちは珍しい客とみえて、アッカーズ諮問評議会外交委員長は会談の冒頭から、国会の形態、選挙の方法など質問攻めにしてきました。イラク問題の会談を終えても、「ソ連の崩壊をどうみているのか」などの質問が続きました。

驚きとうれしさ

 私は、アフガニスタン事件のさいに現地カブールに飛んで調査した経験などをふくめて、日本共産党がどれだけきっぱりとアフガン人の民族自決権を擁護して、ソ連と激しい論争をおこなったかなどを紹介しました。また、アフガン事件と同様に日本共産党指導部の打倒をはかる干渉をおこなったためにソ連と関係を断絶した歴史を紹介し、そういう相手であるから崩壊したときに歓迎したことをのべました。

 アッカーズ委員長は驚きとうれしさを混ぜたような顔をトゥーブ(アラブ民族衣装)の下からちゃめっ気たっぷりにのぞかせて、心から楽しんでいるように、「とても印象的でいい話を聞いた」とのべました。

 私が「日本共産党として初めてサウジへの訪問ができて二倍うれしい」とのべると、アッカーズ氏は、「共産党のお客にふさわしい話をしよう」と切り出しました。「サウジを最初に承認したのがソ連で、一九二〇年に国交を樹立し、ソ連はジェッダに最初の領事館を開いたし、ファイサル王子(後の国王)は、レーニンの時代にソ連に行っている。しかし、その後、スターリンの時代にアラブに干渉的なことを始めたので、関係を断絶した」という興味ある説明をしてくれました。ソ連との国交回復は一九九〇年。中国とは九一年に外交関係を確立したばかりなのです。

 大きな距離のあった国に訪問して友人となった。時代も歴史も大きく動いている―首都リヤドでは、こんな深い感動につつまれました。盛りを過ぎたとはいえ、なお四〇度近い熱気のなかで、乾ききったサウジの大気を胸いっぱいにすいこむと、体のなかから力がわいてくるのでした。(つづく)

 


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