2002年11月13日(水)「しんぶん赤旗」
第三十八回赤旗まつりで不破議長がおこなった「ふたたび『科学の目』を語る 代々木『資本論』ゼミナール・赤旗まつり教室」(四日、夢の島総合体育館)の講演「二十一世紀の資本主義と社会主義」(大要)は次のとおりです。
みなさん。こんにちは。日本共産党の不破哲三でございます。昨年と違って、今日の集まりは、「代々木『資本論』ゼミナール・赤旗まつり教室」と名づけました。「代々木『資本論』ゼミナール」というのは、いま日本共産党の本部を会場に、私が講師になってやっているゼミナールのことで、あとの話に出てくることですが、いわばその「赤旗まつり」版という気持ちです。
「赤旗まつり」は今年で三十八回目、その歴史のなかには、いろいろな特徴、側面があります。その一つですが、「赤旗まつり」で生まれた言葉というものが、結構あるのです。たとえば、私たちがいま「日本改革」を論じるとき、日本の現状を「ルールなき資本主義」とよく呼びます。また予算の使い方の逆立ちぶりを示すのに、「公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円、こんな国は世界にない」と言うでしょう。実は、これも、「赤旗まつり」で始まった言葉なんです。五年前、一九九七年の「赤旗まつり」の記念演説で、私がはじめて話したことでした。それがずっと広がって、いまでは、日本の資本主義のゆがみを特徴づける常識的な言葉になってきました。
「科学の目」という言葉も、同じような運命をたどっています。実は、私自身は、もっと前からこの言葉を使っていたのですが、やはり「赤旗まつり」で問題にしないと、なかなか広まらないんですね。去年の「赤旗まつり」に、この会場で「二十一世紀と『科学の目』」という話をしましたら、それがたちまち広がって、いろいろな方のお話や文章のなかに「科学の目」という言葉がよく出るようになりました。また、「しんぶん赤旗」の編集部に寄せられる全国からの通信のなかにも、自分の地域で「『科学の目』講座」をやっているとか、「『科学の目』ニュース」を出しているとかいう話が、数多く寄せられています。この言葉も、「赤旗まつり」のおかげで市民権を得たようで、たいへんうれしく思っています。
「科学の目」と言いますと、やっぱりその大先輩はマルクスです。そのマルクスが、自分が磨き上げた「科学の目」について、どこでいちばん詳しく述べているかというと、やはり『資本論』という本なんです。
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世界の経済学者のなかには、この『資本論』のことを、「この世でもっとも読みにくい本」などと言う人もいますが、マルクスは、この著作に文字通り自分の全生涯をささげました。この本は、資本主義の経済的な運動法則の解明、つまり、資本主義の社会がどのようにして生まれ、どのように発展し、そしてどうして次の社会に交代してゆくのかを、経済学の立場から究明することを、最大の主題にした本でした。
しかし、『資本論』というのは、せまい意味で経済学のことだけを書いた本ではないのです。そこには、自然と社会をとらえるマルクスのものの見方、考え方そのもの――唯物論、弁証法、史的唯物論といった内容をもっていますが――が書き込まれています。資本主義にとって代わる新しい社会――社会主義、共産主義という未来社会についても、マルクスは、『資本論』のなかに、自分の考えをもっとも詳しく、また、もっとも熟した内容をもって書き込んでいます。その意味で、内容の非常に豊かな本なのです。
さらに、ここでとくに述べておきたいのは、『資本論』は、この本自体が歴史をもった本だということです。どういう歴史かといいますと、マルクス自身、この著作を書きあげるために、それこそ何十年もの苦労をしました。当時、イギリスやフランスを中心に、資本主義の経済を研究した多くの経済学者がいましたが、マルクスは、当時の経済学者の著作はもちろんのこと、それまでの歴史に登場した経済学のほとんどすべての著作を徹底的に研究し、そのなかから値打ちのあるものすべてをくみ取って、それを本当の科学に仕上げる、こういう膨大な準備をしたうえで、『資本論』を書く仕事に取りかかったのでした。
マルクスは、そうやって調べ上げ、研究しつくして、『資本論』に取りかかりながらも、自分の研究の到達点に満足して安住するということの、まったくない人でした。到達したところにまた新たな問題を見いだし、あるいは、社会の経済的な発展そのもののなかに新しい動きが起こっていることを発見しては、そのことの研究に取り組む、こうして、つねに前へ前へと進むのです。ですから、『資本論』そのものも、自分の手で発行にまでこぎつけたのは第一部だけでした。第二部、第三部は、内容的には完成にかなり近いところまで書きあがっているのに、さらに前へ前へという作業を続けました。マルクスは、この仕上げ作業の途中でなくなったため、その草稿を編集する仕事は親友のエンゲルスの手に残され、エンゲルスが、十年あまりの労苦を経て、第二部、第三部を発行したのでした。
私たちがいま読んでいる『資本論』は、こういう本です。マルクスが、そこに書かれていることに自己満足しないで、死ぬまで探究の努力を続けたわけですから、マルクスが研究を続けたらその先にさらに広がったであろう「歴史」を読みとることも、『資本論』を読む一つの大きな課題になってきます。『資本論』は、このように、過去から未来にもわたる歴史をもった本なのです。
私たちは、マルクスが死んでから百二十年にもなる、そういう時代に生きている人間ですが、マルクスのこの労作を、私たちが生きている二十一世紀の現代に生かすためには、『資本論』のなかにマルクスが書きとめた結論だけを自分のものにして、それで満足するというわけにはゆきません。どこまでも真実をきわめようとするマルクスの探究の精神、そして現実の発展に応じてさらに理論を発展させようとする姿勢、そういうなかでマルクスが鍛え上げた社会と自然にたいする見方そのものを身につける努力が、とりわけ重要だと思います。
マルクスは、親友のエンゲルスとともに、科学的社会主義の理論をつくりあげた大先輩ですが、そのマルクスの理論を問題にするとき、私があえて「科学の目」というのは、そこになによりの意味があるということを、ご了解願いたいと思います。
私は、昨年、「科学の目」についての講義をしましたが、マルクスでさえ、自分の到達点に満足せず、前進の努力を不断に続けたのですから、私などが自分の理解の現状に満足していられるわけがありません。昨年来の一年間にも、「科学の目」の探究の仕事を私なりにやってきました。
『資本論』に関連する仕事についていいますと、大きな仕事が二つありました。
一つは、マルクスの資本主義批判、とくに恐慌論の研究です。『経済』という雑誌に、「マルクスと『資本論』」という研究の第一回目のテーマとして、「再生産論と恐慌」という論文を、今年の一月号から連載しはじめ、十月号で終わったところです。これは、さきほど説明したマルクスの理論自身の歴史的な発展をきちんと頭にいれて、マルクスの資本主義批判を、恐慌論を中心に読み直そうと考えて、はじめた仕事でした。
もう一つが、初めに言いました「代々木『資本論』ゼミナール」の仕事です。このゼミナールには、党の中央委員会で活動している人たち、それから近くの東京都委員会や埼玉、神奈川、千葉の県委員会と地区委員会で仕事をしている人たちが約三百人集まりまして、今年の一月から始めました。月二回のペースで、ともかく『資本論』全三巻を一年で読んでしまおう、こういう壮大な志をお互いに立てて、やっているところです。
集まっているのは、中央でいえば、委員長、副委員長、常任幹部会のメンバー、国会議員、専門部や「しんぶん赤旗」の各部門の人たち、それに東京、埼玉、千葉、神奈川の都県、地区や地方議員のみなさん、そういう方がたが机をならべているわけで、わが党の歴史でも前例のない取り組みだと思います。
私自身についていいますと、この二つの仕事――マルクスの資本主義批判を読み直す仕事と、「『資本論』ゼミナール」の仕事とは、いわばタテ線とヨコ線の関係だったな、という気持ちがあります。
まず最初の仕事ですが、研究の出発点となったのは、“恐慌論というのは資本主義批判の中心をなす問題だが、『資本論』を読んでいると、恐慌論を組み立てる上で、どうも足りない部分がある、マルクスが書くつもりでいながら、書かないままで終わった部分があるのではないか”という問題意識でした。以前、この「書くつもりでいながら書かないままで終わった部分」のことを、“ミッシング・リンク(失われた環)”と呼んだこともあります。
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この探究の仕事は、パズルを解くように、ここはどうか、あそこはどうかと当てずっぽうでやるわけにはゆきません。まずマルクスの考えが展開する筋道を読みとく手がかりが必要です。私は、そのなによりの手がかりを、マルクスが『資本論』の準備の過程で書いた一連の草稿のなかに求めました。
『資本論』は第一部が一八六七年に発行されていますが、そこにいたる草稿は、一八五七〜五八年に書いたもの、一八六一〜六三年に書いたもの、一八六三〜六五年に書いたものと、年代的な層をなして、現行の『資本論』以上の大部なものが存在しています。その草稿を歴史を追って読んでゆきますと、マルクスの頭のなかで恐慌論が組み立てられてゆく流れが分かってきます。そして、その流れのなかに、『資本論』を置いてみると、マルクスが『資本論』で展開している恐慌論のいろいろな側面がどういう探究のなかから生み出されてきたかが、よく見えてきます。同時に、恐慌論ではこの点のつっこんだ解明が大事だと位置づけて、その問題意識を大いに強調し、その解明のあらすじまで草稿のなかに書かれていながら、『資本論』ではそこまで書き進められなかった、という部分があることも、浮かびあがってきます。
こうして、草稿から『資本論』へという流れを詰めてゆくと、私が“ミッシング・リンク”と呼んだものも、その所在と姿が、まだおぼろげですが、ある程度形をなして見えてくるようになりました。
かなり専門の分野にわたる研究でしたから、ここで結論の紹介はいたしません。興味をお持ちの方は、研究論文そのものを読んでいただきたいと思います。ともかく、『資本論』を準備するなかでマルクスがもっていた問題意識を、恐慌論を中心にして、草稿のなかから追跡すること、そしてこの問題意識を導きの糸に、現在『資本論』で述べられていることだけにとどまらず、マルクスがどういう内容で恐慌論を仕上げようとしていたのかの全ぼうを明らかにすることが、この研究の主題でした。そして、この研究をひとまず終えての私のなによりの結論的な印象は、歴史の流れのなかで読んでこそ、『資本論』の値打ち、マルクスの「科学の目」の値打ちがより活(い)き活きと分かる、ということでした。
それと並行して進められた「ゼミナール」では、“歴史のなかで『資本論』を読む”という同じ態度で全三部を読むことを心がけました。
第一の仕事は、なんといっても、「恐慌論」という一つのテーマに問題をしぼってのマルクス研究でしたから、とくにこの問題に関連の深い分野を集中して掘り下げるという作業が中心になります。ところが、「ゼミナール」の方は、『資本論』の全体をどうつかむか、が主題です。第一部から第三部まで、『資本論』の全体を、私なりに関連づけ、順序だてて講義をしてゆこうと思うと、並行して進めている恐慌論とは違った問題意識で、『資本論』の全体を読むことになりました。そしてなによりも『資本論』の全体像をよくつかむということが、大事でした。
そういう態度で、全体をあらためて読み直し、関連する問題点を研究してみたわけですが、この講義を準備することは、私にとって、『資本論』についての新しい発見の連続でした。そういう発見のなかには、『経済』で連載中の恐慌論の解明にとっても、重要な新しい角度が含まれていたりします。いわば「恐慌論」というタテ線が、『資本論』全体の講義というヨコ線によって触発をうけるわけで、「こういう面の掘り下げが足りなかった」、「研究の新しい角度が見えてくる」などなどに気がついて、すでに書きあげていた連載の原稿を書き直したことが、ずいぶんありました。ですから、「ゼミナール」をやって、いちばん知的刺激を受け、いちばん勉強させられたのは、講師を務めている私だったかもしれません。
「代々木『資本論』ゼミナール」は、十月後半の第十八回目の講義で信用論を終え、次は地代論です。あと三回ですが、ほぼ順調に進行していますから、十二月後半の第二十一回目で『資本論』全三部の勉強という予定は、ほぼ計画どおりやりとげられそうです。参加者は、みなさんが中央や地方の党機関の活動家ですから、議会の仕事もあれば海外の出張もある、どうしてもやむをえない公務に日程がぶつかる人も出てきます。しかし、多くの方が、欠席した分はテープを聞いておぎなうなどしており、ほぼ三百人の全員が最後まで行動をともにすることができそうです。この仕事を、常任活動家が三百人という規模でやりとげたら、党創立八十周年の年にふさわしい壮挙の一つになるだろうと、期待しています。
今日の集まりは、その「代々木『資本論』ゼミナール」の「赤旗まつり教室」として企画をしました。『資本論』ゼミナールの「教室」といっても、ここで、『資本論』そのものの講義をやるわけではありません。その流れのなかの特別教室として、いまわれわれが生きている世界のなかで、『資本論』がどういう意味をもっているのか、言い換えれば、『資本論』の「科学の目」で世界を見ると、二十一世紀の世界と日本のどんな特徴が見えてくるのか、そういうことをかいつまんで話してみたい、と思います。
とくに今日は、現在われわれが属している資本主義の世界の問題だけでなく、われわれの未来にかかわる問題、またいま社会主義をめざしている国ぐにの問題など、社会主義の前途の問題にも、一つの重点をおいて、考えたいと思います。
十一年前の一九九一年、ソ連が崩壊しました。そのとき、日本共産党は、本当の意味で社会進歩をめざす立場から、ソ連という覇権主義の国家が崩壊したことは、いわば社会進歩の邪魔物がなくなったことだと、この「巨悪」の崩壊を天下晴れて歓迎する声明を出しました。
しかし、世界の資本主義の陣営は、別の意味で、ソ連崩壊を歓迎する態度をとりました。ソ連の崩壊によって、資本主義を脅かす社会進歩の根が絶たれた、社会主義や共産主義を心配する必要はもはやなくなった、資本主義万万歳だ、こういう「資本主義万歳」論の凱歌(がいか)が資本主義陣営の反応の特徴でした。
資本主義推進派のこういう見方の根っこには、ソ連を世界の社会進歩の運動の旗頭だったと見る大きな錯覚がありました。私たちは、世界の平和の事業のためにも、社会進歩の事業、社会主義、共産主義の事業のためにも、「社会主義」を看板にした逆流――ソ連という大国の覇権主義と三十年にわたってたたかってきた政党ですから、こんな錯覚は、私たちとはまったく縁のないものでした。しかし、資本主義推進派は、そういう錯覚から、これで資本主義の前途は、もうなんの心配もなくなったと、喜びの声に手放しでひたったわけです。
ところが、それから少したちますと、「資本主義万歳」の声が、次第にかすんできました。同時に、資本主義信奉派のなかからも、マルクスをなつかしがる声がしきりに聞こえてきだしたのです。そのことは、二十世紀から二十一世紀に移りかわる時期を特徴づける非常に興味深い動きとなりました。
いくつかの事実をあげてみましょう。
まず、最初に、イギリスの国営放送BBCが、イギリス国内と海外のBBC放送の視聴者を対象におこなったアンケート調査を紹介しましょう。一九九九年九月のことで、「過去千年間で、もっとも偉大な思想家は誰だと思うか」というアンケート調査でした。
二〇〇〇年から二〇〇一年への転換というのは、二十世紀から二十一世紀への転換であると同時に、人間の歴史を一千年単位で見ると、一〇〇〇年代の千年紀(ミレミアム)から二〇〇〇年代の次の千年紀への転換をも意味します。そういう歴史の節目ですから、BBC放送局は、「過去百年間」といった短いモノサシは問題にしないで、「過去千年間」という大きなモノサシで、「もっとも偉大な思想家」は誰かというアンケートをおこなったのです。
発表されたアンケートの結果は、マルクスが圧倒的に第一位でした。第二位はアインシュタイン、第三位はニュートン、第四位はダーウィンと、自然科学者が続きます。資本主義賛成派の経済学者や社会学者は、上位にはまったく顔を出さないのです。マルクスが断然のトップで、それに三人の自然科学者が続く――これが、かつては、資本主義の総本山と言われたイギリスで、ソ連崩壊の八年後に、国営放送がやった世論調査の結論でした。
「マルクス」と答えた視聴者のなかには、その理由を、「マルクスが資本主義の仕組みの最高の分析者」だからだ、とずばり説明した人もあったとのことです。
私が興味をもった次の声は、今年の一月、アメリカの有力紙に出た一つの論説です。「ワシントン・ポスト」に、デイビッド・ロスコフさんという人が、論説を書きました。この人は、クリントン政権の商務副次官で、現職はある企業の最高経営責任者、まさにマルクスとは反対側の陣営にいる人物です。
論説の表題は「この後に」、つまり資本主義の「後に」、ということです。副題は、「資本主義の運命がどうあれ、すでに誰かがその代案を準備しつつある」――資本主義にかわる次の社会の用意を、もう誰かが始めている、こういう趣旨の論説でした。
書き出しがまず、なかなか傑作でした。
「この世界のどこかで、次のマルクスが歩いている」。われわれは、ソ連の崩壊とともに、マルクスを片づけたつもりでいるけれども、この世界のどこかで、「次のマルクス」が歩いているぞ、資本主義が安泰だと思ったら、大間違いだぞ、こういう警告の論文なのです。「次のマルクス」は、経済崩壊にあえぐ南米アルゼンチンの路上にいるかもしれない、あるいは、パレスチナやインドネシアにいるかもしれない、北京にいるかもしれない、さらにナイジェリアやロシアかもと、国の名前を次々にあげながら、どこにいるかは分からないが、「誰かが、どこかで、代わりの未来像を用意しつつあることは間違いない」、ロスコフ氏は、こう断言します。
なぜ、そう断言するのか。「おごれる者は久しからず」は、『平家物語』の言葉ですが、ロスコフ氏は、かつて世界支配を誇った大ローマ帝国も滅びた、大英帝国も滅びた、と歴史を振り返ります。そして、アメリカはいまアメリカこそ世界の中心だといった顔をしているが、そこに最大の危険がある、そういう傲慢不遜(ごうまんふそん)な態度でいたら、かつての大帝国と同じように、アメリカも没落の道をたどり、それとともに、アメリカが中心にすわった資本主義の世界そのものが大もとから脅かされるようになることは疑いない、というのです。
ロスコフ氏の言葉をそのまま引きますと、“われわれ(アメリカ人――不破)が国際問題にたいする九〇年代の傲慢な認識――われわれは正しいのであり、他のすべてはわれわれのルールに従って行動するか、そうでなければ失敗して当然といった認識――を無反省に持ち続けるならば、新しい世代の挑戦者の出現を容易にする結果となるだろう”。アメリカ中心主義にたいするこの痛烈な自己批判から、「次のマルクス」という警告が出てきたのでした。
それから、今年の八月、イギリスの新聞に面白い論説が出ました。「フィナンシャル・タイムズ」に、ナイオール・ファーガソンというオックスフォード大学の教授が書いたのです。この人は、アメリカのニューヨーク大学でも客員教授の地位にあります。
ファーガソン氏は、資本主義の現状について、まずこう言います。「資本主義のもっとも熱心な信奉者といえども、このひげのカッサンドラ」(カッサンドラというのは、悪い事態の予言をする神話上の人物ですが、ここでは明らかにマルクスを指しています)「に耳を傾けることが利益になるときがある」。
ファーガソン氏によると、共産主義を説いた「予言者としてのマルクスは色あせている」そうですが、「しかし」といって、彼はそのマルクス論をさらに続けます。「資本主義についてのマルクスの洞察はいまも光を放つことが可能である」。「『資本論』――この長々しい冗長かつ難解な本は、あらゆる時代を通じてもっとも読みにくい本の一つに位置づけられる」(私は冒頭、『資本論』をこの世で最も読みにくい本だといった外国の学者について話しましたが、それは、このファーガソン氏のことでした)。読みにくい本ではあるが、『資本論』第一部の最後にマルクスが書いた文章――資本主義が進んでゆくと、資本家の陣営のなかでも、ごく少数者の手に富が集中して、社会の他の人びとは、多数の資本家たちをふくめてなぎ倒される、というマルクスの指摘は、たいへん大事だ、ファーガソン氏は、このことを力説し、マルクスの資本主義批判の現代的意義を、次のように語るのです。
「社会主義と革命についてのマルクスの空想的予言は忘れ去っていい。本当の問題は、彼が十九世紀の資本主義について指摘した資本主義の多くの欠陥が、今日においても明白に存在していることである」。
マルクスの資本主義批判は生きているぞ。イギリスのオックスフォード大学の教授で、アメリカの大学でも活動している経済学の教授が、資本主義の信奉者という立場をかくさないまま、マルクスの批判は生きていると言わざるをえないのです。
アメリカの「ワシントン・ポスト」とイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」、この二つの新聞に出た二つの論説には、大きな共通点があります。それは、ソ連の崩壊後、アメリカが唯一の超大国だということで、世界の資本主義のいわば総大将になった、そのことが資本主義世界の危機と矛盾のもっとも深刻な根源になっている、こういう自己認識が共通して表明されていることです。
「ワシントン・ポスト」の論説が、世界はすべてアメリカに従えというアメリカの傲慢さを批判していることは、さきほど紹介しました。この論説は、こういう傲慢な認識が危機を生み出す前兆は、「世界の貧しいものたちの不満」だけではなく、「アメリカの同盟諸国の不満」のなかにも現れていると言って、ラテンアメリカの政治家たちはこう言っているじゃないか、ヨーロッパの政治家たちはこう言っているじゃないかと、矛盾の深刻さを具体的に指摘しています。
そして、続いて経済問題に目を向けます。アメリカが、アメリカの制度を世界に押しつければ押しつけるほど、世界の貧富の格差は広がってゆく、「実際に、世界の多くの国で『ワシントンの制度』をいうことは、富めるもののルールを主張することである」。そういう国ぐにでは、財閥、泥棒政治家、国際金融業界のエリートとその緊密な関係者などなどが、富を増やし、国民はたたきのめされる。
さらに、この論説は、ある国際組織が調査した数字を引いて、「世界の最富裕者二百五十八人の総資産は、世界の最貧人口二十三億人の年間所得の総計にひとしい」と、アメリカ中心主義のもとで、貧富の格差が極限にまで達している資本主義世界の現状を批判します。
クリントン政権の元商務副次官で、企業の最高経営責任者をつとめている人物が、アメリカ中心主義のルールを、政治の面でも経済の面でも、ここまで痛烈に告発しているのです。
では、イギリスの教授ファーガソン氏は、「フィナンシャル・タイムズ」で、どういう分析をしているのか。
この人が、アメリカ資本主義の最大の特質としてあげるのも社会的な格差の拡大で、アメリカ国内での富の集中について、次のような数字をあげています。
「過去二十年間、卓越した資本主義経済であるアメリカ合衆国のなかで、不平等の深刻な増大があった。一九八一年に1%の最富裕家庭はアメリカの富の四分の一を保有していた。一九九〇年代末には、この1%の家庭が、……38%以上のアメリカの富を保有している」。
「1%の最富裕家庭」ということは、人口の1%にあたる最も金持ちの家族ということですが、この論説が出発点にとった数字(一九八一年)――1%の家庭が「アメリカの富の四分の一」をにぎっているという数字そのものが、すでに不平等の相当な拡大を表しています。
ところが、二十年たった一九九〇年代末には、1%の家族の手に集中した富が「四分の一」(つまり25%)から38%へとさらに大膨張をとげた、というのです。38%というこの集中度は、「一九二〇年代以降もっとも高い」ものだとのことです。
ファーガソン氏は、こういう富の集中が、バブルとその崩壊によって加速されていることに、特別の注意を向けています。
「一九九〇年代のバブル経済がある階級から別の階級への驚くべき富の移転をもたらしたことに、疑問の余地はない。しかし、これは労働者階級からブルジョア階級へ、ではなく、中産階級の一部から他の一部へ、というものであった。正確に言えば、〔株式投資で〕だまされた階級から、CEO〔最高経営責任者〕階級へ、である」。
CEO〔最高経営責任者〕という言葉は、アメリカから持ち込まれて、日本でも、最近よく使われるようになった言葉ですが、ファーガソン氏は、「CEO階級」という言葉を独特の意味で使っています。文字通り「CEO〔最高経営責任者〕」の役職にある者だけでなく、企業の最高機密に属する内部情報を自由に手に入れることができ、株の操作で大もうけにありつける一部の特権的集団のことで、アメリカの上院でのある責任ある証言によれば、企業のトップにつながる「弁護士、内部および外部監査役、取締役会、ウォール街の証券アナリスト、格付け会社、および大規模な株式保有機関」などがそれに属するとのことです。
このグループは、会社がつぶれる瀬戸際になると、ごまかしの決算を発表して株価をつりあげ、ボロが出る前に自分の持ち株を売り払って大もうけをする、ということをやります。自分たちさえ株の操作でもうかれば、企業そのものはどうなっても構わないという特権集団が広がっている、というのです。この論者によると、あるエネルギー会社(ハーケン・エネルギー社)がそういう操作で株価のつりあげをやったとき、その操作で大もうけをしたグループのなかに、ブッシュ現大統領が入っていて、いんちき操作がばれる前に、持ち株二十一万二千百四十株をちゃっかり売り払って、八十四万九千ドルを手にいれたとのことです。
アメリカは、アジア諸国などの資本主義にたいして、身内だけの利益をはかる「縁故資本主義」だという非難をよく投げかけますが、イギリスのこの教授は言います。
「一九九〇年代には、『縁故資本主義』とはアメリカがアジアの新興工業国にはりつけたレッテルだった。しかし、もし『縁故資本主義者』というものがいるとすれば、それは現在の米国大統領である」。
ファーガソン氏によれば、アメリカの資本主義というのは、ほんの一にぎりの少数者が、バブルとその崩壊をさえ、富をかき集める手段として、意図的に利用する資本主義になりはてています。しかし、この人の結論は、新しい社会のために「万国の労働者、団結せよ」ではありません。「だまされた資本主義の信奉者たちよ! 体制の再編のために立ち上がれ!」、こういうことになります。しかし、そういう立場の経済学者の目にさえ、世界資本主義の総大将であるアメリカ資本主義の実態が、このように腐りはてたものとして映っていること、その醜い実態を分析し批判する指針として、マルクスの資本主義批判がその洞察の光をいよいよ大きくしているということは、たいへん象徴的なことではないでしょうか。
この人は、さきほど紹介したように、『資本論』第一部のマルクスの分析――多数の資本家をふくむ社会全体の犠牲の上に少数者の手中に富が集中することを明らかにした蓄積論の最後の部分を援用しながら、アメリカ資本主義の現状批判をおこなってきました。私は、この人が、『資本論』の第一部だけであきらめないで、この「読みにくい」本を第三部までがまんして読んだら、おそらく“わが意をえたり”ということで、信用論でのマルクスの分析をも、引用したくなったに違いない、と思います。
マルクスが『資本論』を書いた当時は、株式会社というものは、まだ発展のごくごく初期の段階でした。しかし、マルクスは、その段階ですでに、株式会社が、国家もからんだ「ぺてんと詐欺の全体制」となることを予見して、次のように書いていたのです。
「それ〔株式会社――不破〕は、一定の諸部面で独占を生み出し、それゆえ国家の干渉を誘発する。それは、新たな金融貴族を、企画屋たち、創業屋たち、単なる名目だけの重役たちの姿をとった新種の寄生虫一族を再生産する。すなわち、会社の創立、株式発行、株式取引にかんするぺてんと詐欺の全体制を再生産する」(『資本論』第三部第五篇第二七章 (10)七六〇ページ)。
解説は省きますが、マルクスが予見したこの腐った特徴が、現在のアメリカに、もっとも痛烈に現れていることは、明らかです。そして、その腐敗の中心点をついた批判が、今年の一月と八月、アメリカとイギリスの二つの新聞に連続して登場したことは、偶然とはいえない問題です。
私は、昨年の「赤旗まつり」で、二十一世紀における資本主義の運命を考える材料として、地球環境の問題を取り上げ、次のような話をしました。
――四十六億年前に生まれた地球が、生命の誕生(三十五億年前)後、その生命活動の協力をえ、そして三十億年にもわたる長い過程をへて、地球環境をつくりかえてきたこと。
――生命活動を保障する大気の現在の構成や、紫外線から生命をまもるオゾン層などは、こうしてつくられたもので、人類をふくむ地球上のすべての生物のために、長期にわたって「生命維持装置」というべき役割をはたしてきたこと。
――その「生命維持装置」が、最近数十年の資本主義の利潤第一主義、「あとは野となれ山となれ」式の活動によって、乱暴にこわされはじめていること。
――そこには、すでに地球の管理能力を失った資本主義の致命的な弱点がさらけだされており、その面からいっても、二十一世紀が、資本主義をのりこえる世界史的な激動の世紀となることは、避けられないだろうこと(「二十一世紀と『科学の目』」)。
資本主義の耐用年数がつきつつあることを示す問題――資本主義が二十一世紀にその存続の是非を問われる瀬戸際に立たされることが予想される問題は、このほかにも多くあります。
いま世界と日本がなやんでいる恐慌・大不況の問題も、その一つです。この矛盾から抜けだそうとして、百年苦労しても二百年苦労しても、資本主義は、恐慌を知らない安定的な発展の境地には、ついに到達できないでいるのですから。
また、地球には約六十億の人間が住んでいますが、さきほど話したように、貧富の格差、不平等は世界的な問題になっています。アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカに、飢餓線上に苦しむ何十億もの人がいるのに、その状態に歴史的な責任を大きく負っている資本主義が、それを解決する力をもちえないとしたら、ここにも、この体制が、二十一世紀にその存続の是非を問われる大問題があることは、明白です。
私は、この一年間、二十一世紀論の重要な中身として、こういう問題を話してきましたが、最近、アメリカとイギリスの新聞に出た、いま紹介した二つの論説を読んだりするなかで、二十一世紀の世界資本主義の危機を形づくる要因のなかには、もう一つ、アメリカ中心主義の横暴という問題があるな、ということを、強く考えるようになってきました。
世界政治の問題でも、いま世界の焦点はイラク問題に置かれています。アメリカが、世界の世論にさからい、また国連のルールも無視して、イラクへの先制的な軍事攻撃を強行しようとしているからです。ヨーロッパからも、中東やアジアの諸国からも、「アメリカの一国主義は許されない」という強い反対と抗議の声が起こっています。
われわれが生きている国際社会というのは、二百近い国ぐにが、同じ地球上で共同してつくっている社会です。多数の国ぐにからなるこの世界を平和に運営してゆこうと思ったら、すべての国が共通してまもる国際的なルールが必要です。このルールの中心として、世界でいま公認されているのが、国連憲章なのです。
第二次世界大戦後、ジグザグはいろいろありましたが、私たちは、半世紀以上、国連憲章のもとで生活してきました。侵略戦争が起きたときは、侵略者は必ず国連憲章を破ります。そのたびに、このルールをまもれという声が国際的にあげられ、ルールを破ったものは、しかるべき国際的な批判にさらされたものでした。
いま、アメリカの一国主義として問題になっているのは、ブッシュ政権が、アメリカの死活の利益がかかわる場合には、国連憲章のルールをまもる必要はない、という立場をあからさまに宣言したことです。それが、具体的には、イラクにたいする先制的な軍事攻撃の企てです。
国連憲章は、ある国が他国に軍事攻撃をくわえることが許されるのは、自衛の場合に限られる、自分が他国から軍事攻撃を受け、それに反撃するときにだけ、他国への武力行使は合法性をもつ、こういうことが明記されています。
ところが、ブッシュ大統領は、イラクはアメリカにとって危険性をもつ国だから、これに先制攻撃をくわえるのは、アメリカの権利だと言いだしました。先制攻撃は、自衛ではありません。自分が気に入らない国にたいしては、自分から戦争をしかけて相手を撃滅する、こんなことがまかり通るということになったら、世界は、どの国もよるべき基準をもてない、ルールなしの無法状態に落ち込んでしまいます。これがアメリカのルールだというなら、一国主義の横暴と覇権主義、まさに極まれりと言わなければなりません。
政治だけでなく、経済の上でも、アメリカ資本主義のやり方に世界中を“右へならえ”させようとして、世界中に干渉していることは、さきほどの論説でも強く批判されていたことです。いま日本では「不良債権の早期処理」、さらにその「加速」が強行されて、そのことが、不況の深刻化の大きな原因になっています。これも、もとをただせば、小泉首相にたいするブッシュ大統領の要求に始まったことです。
このように、政治面でも経済面でも、アメリカの横暴はまさにどうにもならないところに来ています。アメリカ一国主義の「正義」とは、経済的には、アメリカの大企業陣営の利潤第一主義の現れにほかなりません。その動きは、二十一世紀の歴史の流れに逆行するものであって、そこには、未来はありえません。
そういう時に、当のアメリカの内部で、立場からいえば、マルクスに反対するはずの陣営にある人や、また「資本主義の熱心な信奉者」という立場をかくさないイギリスの経済学者が、アメリカが世界の資本主義の総本山となることの危険性を論じ、アメリカ型資本主義の腐敗した特徴を、世界的な危機の根源の一つとして、きびしく指摘している。私はここには、二十一世紀の歴史の流れにかかわる、非常に大事なことが現れている、と思います。そして、その人たちが、期せずしてマルクスに理論的な指針を求め、いまこそマルクスの資本主義分析が光るといった声をあげている、このことも、たいへん興味深いことだと思います。
ここには、マルクスの「科学の目」が、二十一世紀の世界を考えるなによりの指針になっていることの、一つのまぎれもない確証があるのではないでしょうか。(つづく)