2002年10月28日(月)「しんぶん赤旗」
民主党の石井紘基衆院議員刺殺事件は、動機は明らかになっていませんが、日本の国会や政治家周辺に右翼・暴力団の跳梁(ちょうりょう)を許す政治的土壌があることを浮き彫りにしました。
右翼は、戦前から“一人一殺”を標ぼうするなど本質的にテロリストで、民主主義とは相いれない存在です。
戦後は、「親米・体制擁護・反共主義」を特徴として跋扈(ばっこ)し、政権政党・自民党と財界は、支配体制の維持のため、別動隊としてこれを利用してきました。
今回の伊藤泉も、八八年に日本共産党本部に押しかけ、「『赤旗』の反天皇報道に謝罪を要求する」などと刃物をふりかざし二人の勤務員に大けがをさせた凶悪テロリストです。政界人、財界人との交友をひけらかし自民党の国会議員や都議の事務所にもひんぱんに出入りしていたといいます。石井議員の事務所もその一つでした。
もともと、自民党の前身である自由党は右翼・児玉誉士夫が戦時中の「児玉機関」(陸軍特務機関)で得たばく大な秘密資金をもとに創立されましたが、自民党は右翼をある部分では、同化させている例もあります。
たとえば、竹下登首相(故人)が首相官邸で右翼・大東塾幹部と会見、右翼の「自由と平和を守る会」の名誉総裁に就任したり、自民党本部内に事務所を置く「自民党同志会」の理事に右翼・全愛会議議長が名前を連ねていたことなどです。
八七年の総裁選時には、竹下首相(故人)側が、右翼・皇民党の「ほめ殺し」街宣をやめさせるために、暴力団・稲川会前会長に依頼し、自民党政治家が何人も右翼に接触したという、一国の内閣の誕生に右翼・暴力団が関与したという恥ずべき事件もありました。
右翼による凶悪なテロ事件、無法行為が後をたたないのは、「これは思想の自由の問題」(八二年八月、宮沢喜一前首相の国会答弁)などと、政府・自民党が右翼を反共主義の立場から擁護しつづけ、「同志」として市民権を与えてきたからです。そのもとで警察も厳しく取り締まろうとしません。
暴力で政治・社会に脅威を与える右翼テロを一掃するには、右翼・暴力団を甘やかす政治的土壌そのものに厳しい批判の声を集める必要があります。(藤沢忠明記者)