2002年10月27日(日)「しんぶん赤旗」
日本共産党本部受付で逆上し、勤務員に取り押さえられた伊藤泉=88年1月16日、東京・渋谷区 |
伊藤が日本共産党本部に押し入る際に使った軍用ナイフ |
石井紘基議員を刺殺した右翼団体「守皇塾」塾長、伊藤泉は、日本共産党の活動を暴力で妨害する蛮行を繰り返し、議会制民主主義を破壊する行為を続けてきました。
一九八八年一月十六日には、共産党本部に押しかけ、持っていた軍用ナイフで本部勤務員二人を負傷させ、銃刀法違反などで原宿署員に現行犯逮捕されました。
伊藤は、取り調べ段階でこのほかに、八五年七月三日、党本部ブロック塀に掲示された「赤旗」宣伝ポスターを破棄した事件や、八七年九月九日、東京・世田谷区の大田みどり(当時共産党衆院東京三区候補者)事務所などの窓ガラスが割られた事件についても「空きビンを投げつけた」と犯行を認めました。
東京地裁は、三件の起訴事実を全面的に認め「被告人の行為は言論の自由を脅かしかねない手段である」として、銃刀法違反、器物損壊罪で、懲役七カ月の実刑判決を言い渡しました。
党本部襲撃事件で伊藤は、「『赤旗』の反天皇報道に対して謝罪を要求する」と大声でわめき、勤務員の退去要求に逆上し、隠し持っていた刃渡り十三・五センチメートルの軍用ナイフを取り出し、もみ合いになりました。
世田谷区では、事件当時、大田事務所のはす向かい(三軒茶屋二丁目)に住んでいました。事務所にペンキや卵を投げつける悪質な不法行為を繰り返し、「自分がやった」と近所で言い触らしていました。
街頭演説では、「共産党はソ連にいけ」と罵声(ばせい)をあびせ、手でピストルの形をつくり、弁士を威嚇するなど、暴力的な策動を繰り返してきました。