2002年10月12日(土)「しんぶん赤旗」
NKKと経営統合し、「JFEスチール」と名前を変えたばかりの川崎製鉄千葉製鉄所(山本武美所長・千葉市中央区川崎町)で一日午前十時五分ころ、第二冷圧工場のクレーンを運転していた川鉄物流関東支社の吉田正義さん(57)が、クレーンと建屋の柱、約二十センチのすき間に胸をはさまれて死亡しました。
同製鉄所では、六月にスター炉(ダスト精錬炉)の点検作業中、赤熱したダストが流出して二人が死亡。九月には三転炉で閉まらなくなったサイドドアの点検中、突然閉まったドアに頭部を挟まれてラインマネジャーが死亡しています。
スター炉の事故は、ダストの堆積(たいせき)を検出する計器を「誤作動する」として止めていたため二十三トンものダストが流出したもの。転炉の事故は、「弁当を食いながら電話をとったり運転したりする」という忙しさのなか、副所長が現場視察に来るということで夜勤者が残業で清掃していた際に発生。二重切りなど決められた基準どおり仕事をしていましたが、事故後、ドアを動かすエアシリンダーに残圧抜きの装置がないことが判明しています。
二つの事故の重大性から、川鉄は九月末、全労働者を対象に「緊急安全決起集会」を開いて「所長訓話」を行ったばかりでした。常昼勤務者の集会には千六百人が集まり、夜勤や午後から勤務する職場にも所長が出向いて「訓話」する異例の集会で、所長は、危ないと思ったら機械を止める、危険予知活動を実効あるものにする、設備のハード面を直すなどと述べたものの、一番肝心な安全確保のための人員増にはふれませんでした。また、生産に関することは「直協一体」を強調するのに、この集会に川鉄物流の労働者は呼ばれていませんでした。
川鉄物流は、川鉄から大勢の労働者が出向(その後移籍)した会社です。
一個班(八時間)一台のクレーンで百から百二十のコイル(鉄板を巻き取ったもの)を運ぶことも珍しくなく、クレーンが止まることがないほど忙しくて、亡くなった吉田さんは、「あと二年だ。がまんして働くよ」と、定年が来るのを楽しみにしていました。
(野村裕通信員)