2002年10月3日(木)「しんぶん赤旗」
イラクが一日、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)との実務協議で、大量破壊兵器の査察を「即時・無条件・無制限」で受け入れることを宣言し、査察再開で合意しました。UNMOVICのブリクス委員長は「二週間以内にも査察団の先遣隊を送る計画だ」とのべており、この合意は国際社会がイラクの大量破壊兵器問題を平和的に解決していく道を開いた重要な一歩といえます。
米国がイラクのサダム・フセイン大統領体制を打倒するためにすすめている戦争準備に、米・英国内をはじめ全世界で反対の強い声が上がっています。今回、イラクが約四年ぶりとなる査察の受け入れを表明した背景には、ブッシュ米政権の無法なイラク攻撃に反対し交渉を通じた解決を求める世界の世論があったといえるでしょう。
協議では、すべての施設が「即時・無条件・無制限」で査察できるとしましたが、大統領宮殿など八つの大統領関連施設は一九九八年二月二十三日の「了解覚書」による特別の手続きによるとしました。
九八年の「覚書」は、イラクが米国人査察官を国外追放したり大統領施設の査察を拒否し、米国の一方的な対イラク軍事行動の危険が高まった際、アナン国連事務総長が直接イラク側と交渉してまとめたものです。アナン事務総長はこの「覚書」を「安保理決議の全面実施の主要な障害を取り除くもの」と評価しました。
「覚書」は、「大統領施設の特別の性格」を認め、国連事務総長によって設置される特別グループが査察を行い、国連事務総長の任命する第三国の外交官を含めるなど、イラク側の主権にも配慮したものです。イラクも大統領施設の査察を認めたのでした。
重要なことは、イラクへの軍事攻撃のため湾岸地域に空母二隻まで配した米国が、この合意を受け入れたことです。
今回の合意で、米側が強く要求してきた大統領施設の査察問題で、九八年の「了解覚書」が再度確認されたことはこの間の経過を踏まえた道理にかなったものといえます。
ブリクス委員長は協議終了後、「以前にはなかった、査察をすすんで受け入れる意思が(イラクに)あった」と記者団に指摘しました。しかし米国政府は、あくまで主張を押し通す構えです。
米国は自国の戦略に沿って、軍事攻撃を仕掛ける構えを崩していません。
これに対し、仏中ロなど世界の多くの国々は軍事攻撃回避を優先する立場です。
今後、今回の合意を受けて査察チームが速やかに派遣され、現地での活動がスムーズに実施されることが期待されています。イラクも合意どおり、査察に協力していくことが求められています。(西尾正哉記者)
【ワシントン1日坂口明】イラクの大量破壊兵器査察再開に関してウィーン協議で成立した合意に対しブッシュ政権は一日、新たな安保理決議が権限を与えるまでは査察を開始すべきでないとの態度表明をしました(パウエル国務長官)。これは、イラク問題の平和解決、政治解決の道を封じ、イラク・フセイン政権打倒と米国のイラク支配確立を目指す先制攻撃戦争にあくまで固執する同政権の姿勢を浮き彫りにするものです。イラクの大量破壊兵器解体の査察についての諸決議は米国も賛成して安保理決議で採択されたものです。“米国の気に入る新決議による査察なら賛成だが、米国の気に入らない現存決議による査察には反対”とのブッシュ政権の立場は、国際的に正当な根拠がありません。
ブッシュ政権の態度は、「イラクの大量破壊兵器の解体」という国際的総意以外の目標、フセイン政権打倒の先制攻撃に固執しているからだといわざるをえません。
フライシャー・ホワイトハウス報道官は一日の定例記者会見で、フセイン暗殺を認めるかとの問いに、「どのような形態をとろうとも(イラクの)政権変更が政策だ」と述べ、暗殺容認の立場を示しました。
議会からは、イラク攻撃を正当化するブッシュ政権の理由付けが一貫性を欠くとの批判も出ています。
ブッシュ氏はフセイン打倒の理由として「僕のパパを殺そうとしたやつ」だからということまで述べました。これは九三年のブッシュ元大統領暗殺未遂事件を指すもの。しかし、証拠不十分にもかかわらず、米国は既に同年、これを理由としたイラク攻撃を実施。誤爆で六人の市民が死亡しています。
こうした異様なフセイン打倒政策や戦争強行策には、対イラク先制攻撃に反対しない米議会両党指導部も批判。政府が求める戦争容認決議に関し議会側は、大統領の権限に条件を付ける案を提出しました。しかしブッシュ氏は一日、「わたしの手を縛るような決議案はほしくない」と述べ、これを拒否する考えを示しました。