2002年8月24日(土)「しんぶん赤旗」
踊る「勝利判決」の垂れ幕に、「よっしゃー」とわきおこる歓声――。全日本検数協会神戸支部による賃金50%カット、一時金ゼロという暴挙を断罪した判決がいいわたされた二十三日午後一時すぎ、神戸地裁に集まった原告の労働者と支援の人たち三百人は喜びの渦に包まれました。
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原告の山口信明さん(52)は「保険も全部解約して借金で生活してきました。月給は手取り十三万円。大学生の子どもが二人いますが、学費も借金しました。勝利判決は大きな一歩です」といい、同じく田中哲雄さん(55)も「うれしいです。借金してがんばってきたので。すぐにでも差額賃金を支払うよう会社に求めていきたい」と話していました。
神戸市中央区の同協会神戸支部ビル前で夕刻開かれた判決報告・決起集会には、原告と支援者二百人が参加。羽柴修・弁護団長が判決を報告。家族の代表が「苦労がむくわれた思いです」と発言しました。
日本共産党の藤木洋子衆院議員もかけつけ、祝福と連帯のあいさつをしました。
兵庫県労働組合総連合の畦布和隆議長の話 協会側のリストラ計画を否定し、労働者の生活と権利を守る判決となりました。企業の横暴を許さない、吹き荒れているリストラに歯止めをかけるという点で、全国的にも影響を与える大きな意義のある判決です。
「今までたたかってきたなかで一番幸せな瞬間やった」と満面の笑みで語る原告の一人、池田啓治さん(51)の一年四カ月を追いました。
二〇〇一年四月二十五日、半額になった給料を初めて手にした池田さんは、がく然としました。「まさかほんまにやられるとは…。給料袋があんまり薄くて驚きました」と振り返ります。
勤続三十年目に振りかかった協会の信じ難い仕打ちは、池田さん一家の生活を容赦なく追い詰めました。月収は手取りわずか十一〜十二万円。月七万の住宅ローンが家計に重くのしかかり、生命保険を解約、自動車も車検を機に手放しました。新しい服も買えず、旅行や外食などもってのほか。親からの借金や兵庫労連などのあらゆる融資に頼り、「もう限界」の状態でした。
そんな生活を支えてきたのは、ほかならぬ家族です。同居している二人の子どもは、せめて自分の生活費だけでもと働いて父を助け、池田さんと一心同体でたたかってきた妻は、判決のこの日もスーパーでレジを打っていました。
「こんな犯罪みたいなやり方に負けてたまるか」。協会への怒りが、池田さんを裁判闘争へと駆り立てます。しかし、はじめはビラまきに参加する労働者はチラホラ。それでも粘り強く団結をよびかけました。徐々に参加が増え、七月には毎週水曜日に班編成でとりくむまでになりました。
「団結が日増しに強まるのを肌で感じた。やっぱり労働者がたたかってこそ勝利するんや」と、池田さんは確信に満ちた目で語ります。
勝利判決を勝ち取ったこの日、報告集会で同僚の妻の喜びの声に、池田さんは初めて涙をこぼしました。苦労をかけた家族、会えば「大丈夫か」と声をかけてくれた支援の仲間――たたかいを支えてくれた人たちへの感謝の気持ちが、一気に込み上げてきました。
「きょうの判決は、真の勝利への第一歩。判決通り協会に賃金を払わせ、労使関係を正常化するまでたたかい続けます」。池田さんは、新たなスタートラインに立ちました。