2002年6月27日(木)「しんぶん赤旗」
日本共産党の吉井英勝議員は二十六日の衆院内閣委員会で、防衛庁による個人情報リスト問題で質問し、人事配置、配布先、保管方法、利用と、あらゆる面からみて組織的に業務として情報を収集していたのではないかと追及しました。このなかで、配布先について情報公開部門より国民を調査対象にしている諜報(ちょうほう)部門が優先され、諜報部門で定期的・組織的に個人情報の提供、共有が行われていた実態を明らかにしました。
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吉井氏は、海幕三佐作成のリスト配布が庁内の情報公開室には二〇〇一年十一月と〇二年三月の二回なのに対し、海幕調査課や海上自衛隊中央調査隊といった諜報部門には毎月のように配布していたことを防衛庁の調査報告書をもとに指摘(別表)。「(配布者が)気ままに配ったということではなく、きわめて定期的・組織的なものではないか」とただしました。
中谷元・防衛庁長官は「もらった方の処置は、リストの内容を確認した程度で、業務に使用していない」と述べました。
吉井氏は諜報部門の東京地方調査隊三尉が空幕情報公開室三佐に「開示請求者の請求内容に興味がある」と伝え、それにこたえて三佐が独自のリストを作り三尉に渡したことが防衛庁の報告書に書かれていることについて質問。三尉は一年間で計十五回、毎月一回以上リストを受けとっているとして、「情報公開室に人事配置された調査畑の人間が、調査隊に随時情報を流していたのは事実だ」と追及しました。
「個人の発意」という防衛庁の言い分とは逆に、防衛庁による情報開示請求者の個人情報リスト作成と利用が、人員配置、リストの配布先、保管方法、利用のどの点から見ても、組織的な業務による情報収集であった――。日本共産党の吉井英勝議員が二十六日の衆院内閣委員会でおこなった質問が、こうした真相を浮き彫りにしました。
諜報(ちょうほう)部門である陸・海・空の各幕僚監部の調査隊や調査課といった調査部門の人員が、情報公開室の準備室という発足段階から配置されていました。
吉井氏の質問に、防衛庁の宇田川新一人事教育局長は、準備室発足時から、陸・海・空の自衛隊と内局、防衛施設庁の各情報公開室のすべてに、調査部門の人員を配置していたことを明らかにしました。
防衛庁が「意図的に調査部門を配置したことはない」(宇田川局長)と否定しても、防衛庁が情報公開制度を悪用して、国民の個人情報を収集するために組織的に人員配置していたとの疑惑は、いっそう濃厚です。
個人情報リストの配布先の問題で、情報公開室より調査部門が優先されていました。
防衛庁が発表した調査報告書によれば、海幕情報公開室三佐による配布時期は六回にわたっています。このうち、各情報公開室に渡したのは一、二回だけなのに、海幕調査課情報保全室や海上自衛隊中央調査隊といった諜報部門には、すべて渡しています。
空幕情報公開室の二人の三佐も東京地方調査隊に対し、二〇〇一年五月以降の約一年間で十五回渡しています。月一回以上にものぼります。
受け取ったリストを調査部門は書庫に保管していました。
調査報告書によれば、海自三佐が海自中央調査隊に渡したリストは、中央調査隊の隊長を含む三人に閲覧させた後、同隊の資料科長に手渡していました。同科長は科員の三曹に命じ、正式な書庫に保管させていました。
吉井議員は「資料的価値が高く、うかつに外に出せないから書庫に格納したのではないのか。資料科長の組織的判断にもとづくもので、組織的な行動だ」と指摘。中谷長官は「(リストを受け取った隊員は)定型的な業務処理として閲覧させた」「通常、調査隊にきたデータのほとんどを書庫に保管している」と弁明しましたが、業務としておこなっていたことは否定できませんでした。
海自三佐と空自の二人の三佐は、「調査部門にとって利用価値が高いと考えて」諜報部門にリストを渡していました。
海自三佐については、防衛庁自身が「調査課という業務の性質上、そういうものについて、一番、利用してくれるのではないかと本人が思って持っていった」(四日の海上幕僚長定例会見)と説明しています。
空自の二人の三佐も「同じ情報関係の仕事に就いているU三尉の便宜を図ってやろうという気持ちがあった」と調査報告書に明記されています。
中谷長官がいくら「(調査部門として)利用していない」といっても、なんの説得力もありません。