2002年6月19日(水)「しんぶん赤旗」
保守勢力の圧勝に終わったフランスの総選挙。ジョスパン中道左派政権を支えた勢力の後退は、二カ月前の大統領選挙第一回投票での敗北から始まった「負の連鎖」を、左派勢力がついに逆転しえなかったことを示しています。
大統領選挙での社会党ジョスパン候補の敗退は、フランスのマスコミでいまなお「選挙でのアクシデント」と評価されています。失業対策や週三十五時間労働制などジョスパン政権の実績は国民世論の中でも過半数の支持を得ていました。ジョスパン氏が二回投票制の大統領選挙で決選投票にすすむことは当然視されていました。
ところがジョスパン政権の実績の陰で、その施策の恩恵を受けない人々、社会的弱者の不満が一般に考えられていた以上に強く存在し、その一部が極右ルペンに、また別の一部が棄権に流れたとみられます。
ルポ・ライターのデニス・パンゴ氏は緊急出版された著書『まさかの敗北』で、大統領選挙第一回投票の結果について、「ゲームから浮かび上がったのは、下層の人々と上層の人々との深い乖離(かいり)だった」と指摘しています。
大統領選第一回投票での敗退は、左派勢力にとって国民議会選挙での敗北への流れを決定づけることになりました。
第一は、敗退したジョスパン候補が屈辱を感じていっさいの政治活動からの引退を表明したことです。左派勢力は、全体のリーダーを欠いて総選挙に臨むことになりました。多数議席を確保しても首相候補が明確でないという異例の事態です。
第二に、大統領選決選投票で極右ルペン候補を退けるために左派諸党がこぞって保守のシラク候補への支持を訴えざるをえなくなったことです。国民議会選挙ではシラク大統領の下でのコアビタシオン(保革共存)の継続を訴えなければならなくなったのです。
第三に、シラク再選直後に発足したラファラン政権が短時日に、労使対話、警察力強化、減税などの措置を相次いで打ち出したことにたいし、左派勢力は攻勢的な政策的争点を打ち出せないまま国民議会選挙をたたかったことです。
最後に、保守勢力は「大統領多数派連合」を結成し、ほとんどの選挙区で第一回投票から候補者を絞り込んだのに対し、左派勢力が選挙共闘を実現できたのは全体の30%の百七十選挙区だけにとどまったことでした。
ジョスパン中道左派政権の実績についてはいっそうの分析が必要ですが、「ルールある資本主義」建設の試みとみることができます。しかし肯定的にだけ評価できない面のあることが、有権者の一連の行動から明らかになりました。同時にここにあげたように「負の連鎖」と呼べる事態の展開があったのも否定できません。
これら全体から左派勢力がどのような教訓を引き出すか、それが今後のフランス政治の行方に大きな影響をもたらすでしょう。(パリで浅田信幸)