日本共産党

2002年6月18日(火)「しんぶん赤旗」

チェコとフランスの総選挙

問われた対外自主性と

国民生活擁護の立場


 十四、十五日にチェコで下院選挙(定数二百、比例代表制)が、十六日にはフランスで国民議会選挙(定数五百七十七、小選挙区制)の第二回投票がおこなわれました。チェコでは、第三党のチェコ・モラビア共産党が前回九八年の得票率11%、二十四議席から今回、18・5%、四十一議席へと大きく躍進しました。

 他方、フランスでは、九日に行われた第一回投票でフランス共産党は、前回の得票率9・9%、二百五十二万票から、4・75%、百二十六万票へと第二次世界大戦後の国民議会選挙での最低記録を更新しました。第二回投票では、二十一議席(前回は三十五議席)を確保したものの、フランスの政治では、小選挙区制の組み合わせで議席数は変わるので得票率が各党の消長のバロメーターとされており、厳しい結果に変わりがありません。

 ヨーロッパでの二つの総選挙での躍進と退潮という対照的な結果が示すものは何でしょうか。ソ連覇権主義にたいする態度と国民生活擁護という根本的な立場が問われ、その点で、それぞれ対照的な立場が明暗を分けたことが特徴です。

ソ連覇権主義に従った誤りの総括を明確にしたチェコ・モラビア共産党

 チェコ・モラビア共産党は、旧チェコスロバキア共産党時代からソ連の覇権主義の問題では大きな困難を抱えてきました。戦後の政権党時代には、六八年のソ連軍によるチェコスロバキアへの侵略と干渉により、民族自決権を全面否定されるなど大きな苦難を経験してきました。同党は、「チェコスロバキア社会主義共和国」が崩壊し、チェコとスロバキアが分離し、同党が野党になったのちに、こうしたソ連との歴史的な経験を総括して、チェコ国民にかつての誤りと厳しい反省を示してきました。

 日本共産党第二十二回大会に来賓として出席した同党のランズドルフ副議長は、不破議長との会談で、日本共産党の自主独立路線、自主的な民主的改革路線を学んでいることをあげながら、とくに、「ソ連からの干渉では、四回の悲劇的な干渉を受けた」として、「(1)一九二〇年代に、ソ連から指導部を押し付けられたこと(2)四〇年代に社会主義の基礎を築く努力を放棄させられたこと(3)六八年から六九年のソ連の激しい干渉(4)ゴルバチョフ時代に、六〇年代の干渉を合理化する押し付けがおこなわれ、同時に、共産党の立場を放棄して社民化するよう押し付けを受けたこと」をあげながら、「党のもっとも重要な問題で、党自身が決めることが許されないという重大な経験をした」と強調しました。とくに、六八年のソ連の軍事侵略にたいして、日本共産党が断固として反対し、抗議したことについて、「あなたがたの党が寄せてくれた心のこもった連帯の行為に今でも感謝している」とのべました。

 こうした立場で、第三党(野党)として、チェコのNATO(北大西洋条約機構)加盟に強く反対し、アメリカ主導のNATO軍によるユーゴスラビア空爆に反対しました。また、もっとも大きな国民の要求となっている失業対策、雇用創出、住宅の確保、労働者、年金生活者、業者の生活向上のための政策を示し、たたかってきました。

ソ連追随の誤りをあいまいにし、与党として社会党に追随したフランス共産党

 フランス共産党は、ソ連が存在した時代を通じて、「モスクワの長女」と呼ばれたほどソ連共産党への追随が強く、ソ連のアフガニスタン侵略を公然と支持し、ソ連を支援するキャンペーンの先頭に立ちました。ユ議長は一昨年、党創立八十周年記念演説でソ連追随の過去を反省するとのべたことはありましたが、対外自主性も、またフランスの政治・社会の現状に根ざした基本路線での自主性という点でも、未確立のままできました。

 ソ連は崩壊しましたが、だからといってソ連路線に従ってきた問題は不問に付していいというものではないことは、党のあり方からもフランスの世論からも明らかでした。とくに、ソ連の覇権主義に従っただけでなく、その拡張支援のために対外活動をすすめたという党の歴史と活動を振り返るならば、党の体質の問題として、ソ連との関係はソ連なきあとも、鋭く問われてきた問題でした。

 こうした自主性の欠如は、対外路線だけでなく国内政策でもあらわれました。七二年の社会党との共同政府綱領調印後、社会党の躍進によって力関係が逆転し、七七年には共同政府綱領改定交渉で決裂したにもかかわらず、八一年のミッテラン社会党政権にフランス共産党が参加したことは、一貫性を欠く説明不可能な行動と厳しく批判されました。その後のたびたびの政権参加は、きちんとした政策協定もなしに政権参加を優先して、基本的に社会党への譲歩、同調の連続となりました。アメリカはじめNATOによるユーゴスラビアへの空爆の事実上の支持、社会党政権のすすめた労働者、国民の利益に反する少なくない政策への同調などは、フランス共産党から伝統的な労働者・国民の支持を奪う役割を果たしました。

 かつて、フランスの「四大政治家族」のひとつといわれ、戦後三十年間20―25%、五百万の支持を保持してきたフランス共産党は、こうしてフランス政治生活で政党の基準となる得票率5パーセントを割りこむ結果をまねいたのです。(方)

 


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