2002年6月10日(月)「しんぶん赤旗」
サッカーの第十七回ワールドカップ(W杯)日韓大会は第十日の九日、一次リーグH組の日本が横浜国際総合競技場でロシアを1―0で破り、今大会二戦目で念願のW杯初勝利(勝ち点3)をあげました。四日の初戦でベルギーと引き分けた日本は、勝ち点4で同組首位に立ち、目標の決勝トーナメント進出へ一気に期待がふくらみました。
日本は一九五四年スイス大会予選でW杯に初挑戦し、初出場した前回フランス大会は一次リーグ三戦全敗で敗退。W杯通算五戦目で歴史的な「一勝」となりました。十四日に大阪・長居陸上競技場で行うチュニジア戦に勝つか引き分ければ、一次リーグを突破します。
今大会最多となった六万六千百八人の大観衆の声援をうけ、日本は持ち味を発揮。中盤での囲い込みと素早い展開で主導権を握り、後半六分、ゴール前で柳沢敦(鹿島)のパスを受けた稲本潤一(アーセナル)がベルギー戦に続くゴールを決めました。
守っても左足を痛めたDF陣の要、森岡隆三(清水)に代わって起用された宮本恒靖(G大阪)やGK楢崎正剛(名古屋)の好守などでロシアの反撃をしのぎました。
H組はトップの日本に続き、ロシア(勝ち点3)、ベルギー(同1)、チュニジア(同0)の順。十日に大分総合競技場で行われるチュニジア―ベルギー戦で四カ国が二試合を消化します。
一次リーグは各組の四カ国中上位二チームが決勝トーナメントに進みます。
もうホイッスルは聞こえなかった。選手たちが抱き合う。一人また一人。そして緑のピッチに青い歓喜の輪ができた。
苦しかった。最後は防戦一方。しかし、踏みとどまった。
勝利を手にできたのは、冷静で粘り強い日本の守備にあった。
一つは、ディフェンスラインの修正だ。ベルギー戦の反省からむやみにラインを上げず、じっくり構えた。
驚くのは、それを「試合中にみんなと話し合いながらやった」(宮本)ことだ。
自分たちの頭で考え、決断する。しかも試合の中で。なかなかできることではない。そして見事に結果を出した。
二つ目は、かけ続けた中盤のプレスだ。
ロシアはショートパスを縦横に駆使して、相手を崩す。ワンタッチの流れるようなパス回しは、ため息がでるほどだ。しかし日本は九十分を通じ、パスを寸断し続けた。
最後は体力とのたたかいだった。
後半三十四分すぎ、オーバーラップした戸田は足をつっていた。柳沢も走るスピードは落ちたが手を抜かなかった。中田英も足首のけがに顔をゆがめながら必死だった。
「(試合前)気持ちでいこうとみんなと話し合った」と、先制ゴールの稲本。
トルシエ監督も「才能のある人がたくさんいるが、その一人ひとりが、みんなのためにたたかった」とたたえた。
日本のW杯初勝利は、しっかりと歴史に刻まれた。(和泉民郎記者)
【H組】 | 日 本 | ロシア | ベルギ | チュニ | 点 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 失 |
日 本 | ※※ | 〇1―0 | △2―2 | (14日) | 4 | 1 | 1 | 0 | 3 | 3 | +1 |
ロシア | ●0―1 | ※※ | (14日) | 〇2―0 | 3 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | +1 |
ベルギー | △2―2 | (14日) | ※※ | (10日) | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 |
チュニジア | (14日) | ●0―2 | (10日) | ※※ | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | ―2 |