2002年4月11日(木)「しんぶん赤旗」
長野県佐久市にある電子部品メーカーの高見沢電機信州工場(本社・東京都品川区)。工場の塀沿いにつらなる赤旗が春風にひるがえっています。親会社富士通による工場閉鎖攻撃とたたかい続けて丸三年。「会社つぶし、組合つぶしをやめろ」と、今も職場を守りぬいている百人のJMIU(全日本金属情報機器労働組合)高見沢電機支部の組合員がいます。(中村隆典記者)
高見沢電機信州工場には現在百人の従業員が働いています。「全員手空き状態」といわれるほど仕事はほとんどありません。操業度は10%を割り込み、工場は毎月三〜五千万円の赤字が続いています。
「富士通は私たちから仕事を奪い、意図的に赤字をつくりだして会社をつぶそうとしています」というのは勤続三十四年の白江一雄さん(52)。
白江さんは品質管理でクレーム処理の仕事に長年従事してきましたが、仕事量は現在ゼロです。「あっても月一回一時間の会議に出席するくらい」と苦笑します。
高見沢電機は一九一七年(大正六年)設立された老舗企業。通信機や家電に使用されるリレー(継電器)メーカーとして知られ、子会社を合わせると従業員三千人を擁していました。
ところが富士通は昨年九月に持ち株会社を設立。それにともない高見沢電機は株式上場を廃止し、持ち株会社「富士通コンポーネント」が身代わりに上場されました。高見沢電機グループ全体の営業や技術開発、品質管理部門など中枢機能のすべてを持ち株会社に奪われ、高見沢電機は従業員百人の信州工場と四人の本社だけに縮小されました。
富士通による会社つぶし、組合つぶし攻撃は三年前にさかのぼります。高見沢電機生え抜きの社長に代わり、富士通出身の社長が送り込まれた翌年の一九九九年三月、主力工場である信州工場の閉鎖と全員解雇を提案しました。
「高見沢電機はもうじきつぶれる」「残っても仕事はない」などと従業員の不安と動揺をあおり、百三十五人の希望退職と二百十八人の転籍を提案しました。会社が転籍を迫った子会社の千曲通信工業は、賃金は四割ダウン、労働時間は年間二百時間増える劣悪な労働条件でした。
従業員組合はこの提案をのみましたが、JMIU支部は「労働条件の低下は生活破壊につながるので受け入れられない」として拒否。百人が信州工場に残りました。
会社つぶし、組合つぶし攻撃から丸三年、定年退職者を除きだれ一人欠けることなく全員が組合に結集してたたかっています。平均年齢五十三歳、勤続三十五年の鍛えぬかれた労働者たちです。
会社側の当初の計画はとん挫し、信州工場は存続しました。同工場の敷地内に千曲通信工業が同居することとなり、会社側は労務管理上必要との理由で、七千五百万円をかけて両社を分ける仕切りを構築しました。
行き来をさせないこの壁を、JMIU支部の組合員は「ベルリンの壁」と呼んでいます。
苦渋の選択を迫られ、壁の向こうにいった千曲通信工業のかつての同僚たちも、生産の海外移転によるリストラで操業度は四割に減り、不安が高まっているといいます。
先頭に立ってたたかうJMIU高見沢電機支部の石井統委員長(55)はいいます。
「工場閉鎖という第一段階のたたかいは、私たちが勝利しました。持ち株会社設立のねらいは、明らかに富士通による高見沢電機の乗っ取りで、私たちにかけられた第二、第三段階の攻撃です」 (つづく)