日本共産党

2002年3月15日(金)「しんぶん赤旗」

領土返還不要論

鈴木氏に対ロ外交おまかせ

小渕、森、小泉政権で首相特使


 底なしの利権疑惑で焦点となっている自民党の鈴木宗男衆院議員が、領土返還より自らの利権を優先する発言をおこない、重大問題になっています。政府・自民党の要職としてだけではなく、首相特使としても領土交渉に深いかかわりをもってきた鈴木氏。同氏がロシアとどのような接点をもち、そこでどのような発言をしていたのか――そのことを洗いざらい明らかにすることなしには、「領土交渉を前にすすめることはできないという深刻な問題」(日本共産党・志位和夫委員長)となっています。

政府方針をふみにじる

 「そもそも、北方領土問題というのは、国の面子(めんつ)から領土返還を主張しているに過ぎず、実際には島が返還されても国として何の利益にもならない。…我が国は領土返還要求を打ち切って、四島との経済交流を進めて行くべきと考える」

 鈴木氏がこうした発言をおこなったのは九五年六月のこと。当時、衆院沖縄・北方特別委員長です。「北方四島」へのプレハブ診療所建設をめぐって消極的な態度をとる外務省側にたいし、「相当に激しい口調」で診療所建設を迫るなか、「領土返還不要」論を展開したのです。

 北千島を含む全千島列島は日本の歴史的な領土です。それがソ連のスターリンによって不法に占拠された歴史があります。しかし日本政府は、南千島(択捉、国後)と北海道の一部である歯舞、色丹を「北方四島」とし、「一括返還」を方針としてきました。

 鈴木発言はその政府方針さえふみにじるもので、小泉首相も日本共産党の小池晃議員の質問に「事実なら重大発言で看過できない」(十二日、参院予算委)とのべざるをえませんでした。

外相怒鳴り釈明させる

 鈴木氏の発言が深刻なのは、同氏が首相特使などとして日本政府を代表し領土交渉に深くかかわってきたからです。

 とりわけ小渕、森内閣時代の二〇〇〇年四月、八月、十二月の三度にわたる首相特使は対ロ外交に大きな影響を与えました。この時期は、日本政府が密室外交でロシアに譲歩を繰り返したあげく、エリツィン大統領の辞任で領土交渉も暗礁にのりあげていた時期でした。

 このとき鈴木氏は、プーチン・ロシア大統領が同年九月の訪日の際、歯舞諸島と色丹島の返還にふれた「日ソ共同宣言」(一九五六年)の「有効性」に言及したことをとらえ、「非常に意味のある会談だった。非常に理路整然とした話だ」と強調。歯舞、色丹の「二島先行返還論」を熱心にふりまくようになりました。

 そして十二月には森首相の親書をたずさえてロシアを訪問し、翌年三月の首脳会談で「日ソ共同宣言」の「有効性」を確認したイルクーツク宣言のレールを敷いたのでした。

 日本政府の主張だった「四島返還」論さえ投げ出す同氏の主張には、自民党内からも「二元外交」との批判が噴出しました。

 しかし、鈴木氏は、そうした批判をはねつけました。橋本龍太郎・北方対策担当相が「政府が四島一括返還の変更を(ロシアに)伝えたことはない」と答弁(二〇〇一年二月十九日衆院予算委)すると、自民党外交関係合同部会(同二十二日)で「『一括返還』は冷戦時代の言葉だ」と反論。

 十二月の特使派遣を「個人の資格」と指摘した河野洋平外相にたいしても、「外相には伝えてあったはずだ」と怒鳴りあげ、同合同部会(同年一月二十三日)で河野外相に「鈴木議員の発言や行動は総理とも連絡をとっている」と釈明させたのでした。

鈴木氏離党で免罪されない

 鈴木氏の重用は、現在の小泉政権にも引き継がれます。

 米国での同時多発テロ事件後、鈴木氏がタジキスタン、ウズベキスタンへの特使を申し出ると、小泉首相は首相特使に任命。さらに今年一月には森喜朗前首相のロシア訪問に随行し、領土問題について歯舞、色丹両島と国後、択捉両島を区別して「並行協議」するという政府交渉の道筋をつけました。

 鈴木氏の「領土返還不要」発言を知りながら、いままで隠し続け、鈴木氏のいいなりになってきた外務省。そんな鈴木氏に対ロ外交をゆだねてきた自民党政権――その責任は鈴木氏を切って免罪されるものではありません。

 実際、十三日に開かれた日ロ次官級協議では、鈴木氏の推進した「並行協議」が事実上ロシア側に拒否され、国際的な大義も道理ももたない領土交渉のゆきづまりはいっそう鮮明になっています。

 小泉首相は、「政府の方針としては、四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するという方針は変わっていない」とのべました。そうであるなら、「領土返還不要論」をのべた鈴木氏が首相特使として、どういうメッセージをロシア側に伝えたのか、全容を調査し明らかにする責任があります。

 領土問題 千島列島は、一八七五年の樺太(からふと)・千島交換条約によって、日本の領土とされました。これが平和時の最終的国境線でした。ところが、第二次大戦後、ソ連のスターリンが不法に占拠し、「領土」に編入しました。日本共産党は、スターリンの歴史的暴挙を糾弾し、全千島列島の返還を要求してきました。これにたいし、日本政府は一九五一年のサンフランシスコ条約で千島列島の権利を放棄したことから、北海道の一部である歯舞(はぼまい)諸島と色丹(しこたん)島、および国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の南千島は千島列島に含まれないという国際的に通用しない理屈で、「四島返還」論を主張してきました。


鈴木議員とロシア外交の関係

1990.12外務政務次官(〜91.11)
1994.衆院沖縄北方特別委員長(〜95.8)
1995.委員長をいったん降りてプレハブ診療所建設要望質問
外務省欧亜局参事官に「領土返還不要」発言
1997.6〜7小渕視察団の一員としてロシア・中央アジア訪問
橋本首相、対ロ外交方針の「三原則」発表
橋本内閣で北海道・沖縄開発庁長官に
11橋本・エリツィン会談(クラスノヤルスク会談)。2000年までの平和条約締結で合意
1998.橋本・エリツィン会談(川奈会談)。橋本首相、「国境画定」案を提示
鈴木氏が閣僚としてはじめて「北方四島」訪問
11小渕首相が首相として25年ぶりの公式訪ロ。鈴木氏同行
1999.10自民党総務局長(〜2001.4)
2000.小渕首相の特使として訪ロ(訪問中、首相入院)
森首相が訪ロ。プーチン大統領と会談
森首相の特使として訪ロ
プーチン大統領来日、鈴木氏と異例の会談
12森首相の特使として訪ロ
2001.森・プーチン会談(イルクーツク)。鈴木氏同行
10小泉首相特使としてタジキスタン、ウズベキスタン訪問
2002.森前首相の訪ロに同行

 


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