2002年2月17日(日)「しんぶん赤旗」
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アフガニスタン東部の険しい山岳地帯のトラボラ。国際テロ組織アルカイダ最後の拠点で、米国での同時多発テロ事件の容疑者、ウサマ・ビンラディンが潜伏していたとみられていたため、タリバン政権崩壊後も米軍の大規模空爆が続きました。空爆はアルカイダ兵士だけでなく、谷間で静かに生活していた住民多数の暮らしと命も奪いました。(アフガニスタン東部パッチャルアガム村で竹下岳 写真も)
トラボラ地区の一角にあるパッチャルアガム村。小高い丘の上にある役場からは、雪化粧の美しい山並みが見渡せます。静かな村です。
アブドラ村長は怒ったようにいいました。「ここにはアルカイダもタリバンもいないんだ」
空爆は三日間続きました。米軍がトラボラでの作戦を開始した昨年十二月一日、村役場に突然、ミサイルが撃ち込まれました。逃げる間もなく二発目が飛んできて、昼食の準備をしていた職員九人が死亡しました。
そして翌二日、三日と民家を直撃しました。目撃者はいずれも、戦闘機からのミサイルだったと証言します。
三日間で五十人以上が即死し、多数が負傷して病院に運び込まれました。うち十人は飛び散った肉片を拾い集めてようやく、犠牲者を判別できたといいます。
アフガン東部ジャララバードの国際赤十字病院によると、少なくとも七十五人が死亡し、五十三人が負傷しました。
十二月三日夜八時すぎ、谷の中腹に建つ一軒の家をミサイルが直撃しました。夕食を終えて一家がくつろいでいたところでした。激しい音とともに一瞬のうちに家が崩壊しました。夫婦は即死、四人の子どものうち上の三人が重傷を負い、今なおパキスタン北西部ペシャワルの病院に入院しています。
温かい団らんを奪われ、スプーグネちゃん(5つ)はたった一人、取り残されたのでした。今はおじさんが世話をしています。同い年の友達やいとこがたくさんいますが、あれ以来、遊んでいても口数が少なくなりました。
おじさんは語ります。「貯金を食いつぶして何とか生活しているけど、もうすぐ底を突いてしまう。政府も国連も、だれも私たちを助けてくれない」
スプーグネちゃんの隣に住むローグルちゃん(12)も父親を失い、長兄が重傷で入院しています。
ローグルちゃんは爆音の記憶におびえ、心の傷に苦しんでいます。
三日間の空爆後、住民は避難生活を余儀なくされました。渓谷に響き渡る爆音におびえ、何人もの人々が精神的後遺症に悩まされています。
パッチャルアガム村はトラボラ地区にあるとはいえ、アルカイダの拠点があった山岳部から相当の距離があります。それが、なぜ空爆の標的となったのか―。
「タリバン政権時代は確かに、村役場にアルカイダが出入りしていた。米軍は古い情報に頼ったのだろうが、住民はだれもアルカイダと関係を持ったことはない」とアブドラ村長はいいます。
アブドラ村長は村の属するナンガルハル州知事に実情を説明し、暫定政権にも会見を申し入れています。しかし州から若干の援助物資が届いただけです。
「州も暫定政府も私たちを助ける余裕がないというのは理解できる。だからこそ米国は私たちに補償をすべきだ。国際社会に、私たちの苦しみを分かってもらいたい」
村役場に座っていたイスラム聖職者のグルカリンさんはタリバンとの関与を疑われ、新政権によって逮捕・投獄されました。村人の嘆願で一カ月前に釈放されました。
「米国はアフガンの人々はみんな、テロリストだと思っているのだろうか。私たちもテロ組織の被害者なんだ。アルカイダさえやってこなければ、村はこんなことにならなかった」
グルカリンさんは記者に問いかけました。「ソ連、米国、アルカイダ。私たちはいつも、外からきた勢力に苦しめられている。アフガンの何がそんなに重要なんだ」
米軍は昨年十二月末にトラボラでの空爆を終了しました。しかし米軍特殊部隊は今なお、アフガン東部で戦争を続けています。
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