日本共産党

2002年1月20日(日)「しんぶん赤旗」

発言2002

“戦争は嫌だ”と口に出そう

まんが原作者 大塚英志さん


写真

 私はまんがの世界の人間です。同時多発テロが起きてアメリカが対テロ戦争を宣言したとき、アニメ誌に書いている連載小説を、勝手に平和論に差しかえたんです。

 「今、君たちが一番考えなくてはならないのはこの国がこの戦争に参加することが正しいのか否か、ということについてだ」「何となく嫌だ、と思ったなら、次にそれを口に出していってみよう。戦争は嫌だよ、と」。私なりにささやかな抵抗を呼びかけました。

 こういう言葉を今一番必要としながらも、一番届けられていないのが若い人たちです。彼らが日常的にふれるアニメ誌やジュニア小説誌を通じて、戦争の問題がそんなに遠いものではないということが、不意打ち的に印象に残ればそれでいいと思っています。

 その後も、一貫して戦争はいけないと言ってきました。憲法九条を持つ日本は戦争に関与も加担もするべきではない、戦争回避や対立する両者の仲介につとめるという選択肢があるはずです。そういう文章は『サブカルチャー反戦論』(角川書店)にまとめました。

 なぜ、まんがの世界の人間がそんなことを書くのか。湾岸戦争の時は文学者の反対声明の中心になった評論家が、今回はネットで“戦争になることはとうにわかっていたのだから今は「戦後」のことを考えよ”と書いていました。「戦時下」に語ることを避ける処世術としか思えません。何かが起きたときに、どう考えたらいいか、正確な言葉を提供するのが文学や評論家の仕事のはずです。戦争に行こうという言葉ばかりが聞こえてくる、そういう「戦時下」だからこそ、「物書き」には発言する責任があると思うのです。

手塚治虫が描いた戦争での生と死

 世界貿易センタービルに旅客機がつっこむ映像を見て、ハリウッド映画のようだという声が多く聞かれましたが、私も映画のようだと思った一人です。その後のアフガニスタン攻撃も、「無敵」の主人公が正義のために悪とたたかうというハリウッド映画の展開そのままです。

 問題なのは、ぼくたちも、アメリカの映画やアニメなどを通じて知らず知らずのうちに、そういう展開を期待してしまう感覚が作られていることなのです。

 しかし、日本のまんがやアニメはこうしたハリウッド的な戦争の描き方に対抗するものを作り出してきています。日本のまんががアメリカニズムの直接的影響下にあることは否定できませんが、敗戦の前後に形成されたという戦後まんがの持つ歴史性が、アメリカとは違った変化を生んでいるのです。

 古いディズニーアニメでは、キャラクターの身体(からだ)は死んだり傷ついたりしない「記号」にすぎません。しかし、手塚治虫は十代の戦争中に書いたまんがの中で、戦闘機の機銃掃射で打たれて血を流す男の子を描いています。まんがの「記号」としての身体のなかに、手塚が「死にゆく身体」を包摂したことの意味は大きいのです。ほかにも戦争の掲げる「正義」を根本からひっくり返したテレビアニメもあります。

 ハリウッド的な文法の中で展開していく戦争に対して、私たちが距離をとりうるのはそこですし、映画のようにではなく戦争をとらえる可能性が、日本のアニメやまんがにはあるのです。

 日本の憲法が持つ意味も大きいと思います。いま私は「夢の憲法前文」を公募する企画を月刊誌でやっていますが、憲法九条を変えて再軍備すべきだ、天皇を元首化すべきだという投稿は、意外にも少数派です。日本国憲法に対する反対も含めて、多様な意見を載せる立場は崩していませんが、そういう意見は非常に少ないのです。多くの人が、憲法の原理原則を自分のものとして、自分の言葉で書いた憲法前文を送ってきます。「押しつけ憲法」といって攻撃する人は多いけれども、憲法の考え方は思いのほか強くこの国の人たちに根差していることがわかって興味深いです。

聞き手・北村隆志記者
写 真・滝沢清次記者


おおつか・えいじ 1958年生まれ。まんが誌の編集者を経て、現在はまんが原作者、ジュニア小説作家、評論家。評論集に『戦後民主主義のリハビリテーション』『定本 物語消費論』ほか。

 


もどる

機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


著作権:日本共産党中央委員会 
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp