2002年1月13日(日)「しんぶん赤旗」
持ち株会社化をめざし、グループ全体で三万人規模のリストラをすすめる富士通。子会社の雇用と従業員の生活をおびやかしています。「仲間をつくり、雇用を守りたい」との動きが広がっています。(中村隆典記者)
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富士通の子会社で働く大村清子さん(54)=仮名=は、この三カ月間というもの、月の三分の二は自宅待機させられています。突然、仕事がなくなったためです。
五日間連続の勤務と九日間連続の休日を交互にくり返しています。いわゆる一時帰休です。富士通(本社・東京都千代田区)はこれをワークシェアリング(仕事の分かち合い)と称して今春から半導体工場の約五千人の従業員を対象に長期休業制度と組み合わせて本格的に導入しようとしています。人件費の抑制がねらいです。
この子会社では、休日分の賃金は約七割が支給されていますが、その保証は三月末まで。それ以降はどうなるかあきらかにされていません。
「現在の女性社員の給料は平均で十五万円に届きません。一時、今年一月から勤務日も休日も一括して一律六割に削減するという話もありました。そうなれば十万円にも満たない額になり、生活ができなくなります。これから先どうなるのか不安でいっぱいです」
出勤しても仕事がない日もあります。会社は「IE研修」なるものを設け、空いた時間に全員受講させています。
職場に労働組合はなく、会社のいうままです。「このままでは、いずれ会社を辞めさせられる」と、昨年十月、大村さんは自民党の事務所に「雇用を守るためにはどうしたらよいか」と相談しました。返答は「職安に相談をするしかないだろ。なんのために職安があるんだ」と、とりつく島もありませんでした。
自民党ではだめだと思い、その足で日本共産党の事務所を訪ねました。「やはり雇用問題を親身に考えてくれるのは共産党しかないと思いました。働く仲間の結束が大事だと親切にアドバイスしてくれました。今も引き続き相談に乗ってもらっています」
従業員は三百人余。富士通の下請けで光ファイバーの組み立て、試験作業などに従事しています。仕事の激減は“寝耳に水”でした。昨年春には五十人以上の新卒者の募集広告を出すほど好調でした。ところが一転、その二、三カ月後には自宅待機や出向命令が矢継ぎ早に出されたのです。
富士通から送り込まれている社長は「今の売り上げからいえば従業員は八十七人いればよい。残りの人は出向に協力してほしい」といい、個人面談で出向を強要しました。出向を断ると、「それじゃ、辞めてもらう」と脅しました。
人材会社を介しての出向先は、メガネメーカーや食品会社、弁当屋などさまざま。二、三カ月の出向期間を終えると別の従業員を新たに出向させるという、いわゆる出向のたらい回しです。
富士通本体から出向してきていた数十人の従業員も、元の職場に復帰できないまま、別の関連会社に転籍させられました。富士通がリストラの受け皿会社としてつくった介護支援会社にホームヘルパーとして転籍させられた女性従業員も少なくありません。
「東京のメガネメーカーに出向させられた二十代の男性は、いきたくないといっていました。会社は出向を強要し、辞めるのを待っています」
「希望がもてない」といい残し、二十、三十代の若い従業員が次々と辞めていきました。
「なぜ急に仕事が激減したのかさえ従業員には知らされない。みんな不安なはずなのにそのことにふれたくないような雰囲気でした。何とかしたいと思い、胸襟を開いて話し合うと、意外にも同じ思いの人が何人もいることがわかりました。これならたたかえるかもしれない」。今、大村さんの胸に確信のようなものが生まれています。
富士通の大規模リストラは、すそ野に広がる関連会社の従業員をも痛撃しています。
「あの会社も富士通の子会社です。百人以上の希望退職を募り、それ以上の人が応募したと聞いています」。取材で移動中の車中で、大村さんはそういって小さなビルを指差しました。
「労働組合もない、無権利状態の従業員が親会社の加減一つでどんどん首を切られています。私も会社を辞めてしまおうと思ったこともありますが、辞めても再就職先はありません。泣き寝入りするわけにはいきません。仲間とともに運動し、雇用を守りたい」と決意を語りました。
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